パズルメイト『スーパークロスワード』誌の、
問題自体も自分で考える、
〝なごむ亭元楽〟名義の探し絵パズルが完了。
「ネコパズル」。
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(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
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1月11日が父親の四十九日だった。
火葬の時にお願いしたお寺さんに依頼して、
当日母の住む家に来てもらって、
無事父を送り出した。
四十九日当日は、
やはり僕の家の困った姉は、
「手助けしてくれているのか邪魔をしているのか」
よくわからない下手な出方ばかりで、
「おいおいおい」っとイラッとさせられたりもして、
その都度ポンポンッと僕に言われたから、
お寺さんが帰ってからは、
キッチンの柱にもたれて顔だけこちらに向けて、
「悲しかった顔アピール」をしていたりで。
僕には「それは1つ1つ困ったことだった」、
という自覚はないようで、
そのあたりがさらに「ヤレヤレ困ったもんだ」で。
けど、
そのあたりの顛末と姉への普通の願いはまた後日またここで。
(姉の話はたびたびここに書いてみんなに聴いてもらおうと思っている)
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さておいて、
それよりも、
その少し前の、
お正月に帰った時に、
父のことで面白いことが判った。
その話を書きたい。
面白いというか、
不思議な話でもあり、
「解決」な話でもある。
(1)
去年の11月の26日、
病院で父親が亡くなって駆けつけて、
医師立ち会いで死亡を確認してから、
看護婦さんにいろいろと相談したあとに、
スマホからネットで葬儀社の手配をした。
今はそういうサービスがいくつかあるけれど、
葬儀社の手配からお寺さんの手配も一括でしてくれる、
ネットと電話を中心としたサービスを利用した。
僕がネットで調べてお願いしたのは「いい葬儀」というところだ。
地方で古くからその地に縁故で暮らしている人たちや、
街暮らしでも親戚縁者や兄弟がしっかりしている人なら、
「そういうのってどうなの? 今っぽすぎて何だかね」
と気楽なことを言う人もいるかもしれないけれど、
都会暮らしで、
こういった短い時間で即決しないといけない状況に、
1人で何もかもやらざるを得ない様な立場の人の場合は、
(たぶん街ではそんな状況が今後増えるだろう)
本当に助かる、
と、
心から思った。
最初「いい葬儀」に電話した時は、
父が亡くなったのでお願いしたいということ、
今はどこそこの病院で葬儀社はどのあたりがいいか、
それから葬儀の規模や料金的なものの希望、
そういったものを伝えた。
父の死去を見届けたあと、
母にも電話して相談した時に、
「もうできるだけ簡単なもので。お父さんもそう言っていたから」
と確認をもらった。
母から以前に何度か聴いていたけれど、
ちょっと前のある時にいきなり父親が、
「わしは、家族葬とか、そう言う簡単なんでええからな」
と言ってたことがあるらしい。
だからそういった感じにしてくれるところを、
その手配の会社「いい葬儀」に伝えて、
探してくれるようにお願いした。
すると、
場所的な条件と、
希望の感じの葬儀をしてくれるところから、
2件の葬儀社を提案してくれた。
こういう時というのは、
お金のことは経験がないと、
口にしていいか悪いかで聴けないものだけれど、
もう口にするしかない。
(このときの経験は、
ちょっと僕の「心の強さレベル」をさらにあげてくれたかもしれない)
で、
どちらか選ばないといけないので、
金銭的なことを聴いてみた。
「2つの葬儀社の価格はどうですか? 一緒ですか?」
と。
すると、
電話口の人は、
「○○社の方が少し安いです。もう1つの〝たしろ会館〟はそれより少しだけ料金がしますね」と。
ちょっと考えたけれど、
だけど、
「あまりになー、こういう時にそのあたりばかり狙うのも何だかなぁー」
と思って
すぐに、
「こんな時に一番安いというのも何なので、
その〝たしろ会館〟の方でお願いします」
と即決した。
結果的に、
選んだ〝たしろ会館〟は非常に親身になってくれて、
まだ会社を始めてからそう経っていない感じで、
それもあったかもしれないけれど、
ずいぶんと丁寧にしてくれた。
父が最期を過ごしたホールも、
とても綺麗だったし、
プランにはなかった、
「花はすべて白で」という希望もかなえていただいた。
そして、
終わってから、
「いいところで良かったねぇ」なんて言っていた。
それが11月の終わりのこと。
(2)
さて、
このあいだお正月の3日。
僕は母のいる家にいて、
少しだけ父のモノを整理していた。
その中に父親が時々、
覚え書きにしていた小さなノートがあって、
それをパラパラッと見てから机において、
また他のものを整理していた。
すると、
その僕が置いたノートを、
手にしてちょっとずつ開いて見ていた母が、
あるページを開いて、
「あっ、ここに家族葬って書いてるわ」
と言った。
「どれ?」
と僕もそのノートを覗くと、
〝家族葬スペース〟とメモがあって、
その下に住所と電話番号らしき数字が書いてあった。
母が「言うとったんわ、これやわぁー」
と、
まだ気づかずに言っている時に、
ずっとメモの一番下を見てみると、
〝たしろ会館〟
とメモしてあった!
びっくりして、
「たしろ会館やん!」
と言うと母も改めてじっと見直して、
「ほんまやわ!」
と。
(3)
たぶん、
新聞とか広報だと広告記事だとか、
そういったもので、
小さな規模の葬儀をしてくれる「たしろ会館」を知ったのだろう。
それで、あの、
〝いろんな気になったコトをメモしているミニノート〟に
メモしたんだろう。
そのあと、
母に「わしは家族葬でええで」と言ったのだろう。
けど、
母はたぶん、
昔からの普段の父の〝困ったところ〟に、
さんざんうんざりもしていて、
「葬式のことって、いきなり何言うてんねん」
程度にしか取りあわなかった。
今回「たしろ会館」のメモが見つかったあと母は、
「もっと、〝家族葬でええで〟とだけでなく、
〝このたしろ会館でしてくれや〟とかそういうちゃんとしたコトまで、
ゆうといてくれたら良かったのに」
と言っているが、
たぶん、
母の方もあからさまに取り合わずに、
それ以上自分からは聴かなかったのだ。
そして、
父親はたぶん、
本当は聴いて欲しかったのだ。
おそらく、
「家族葬って? 何で? 何かあったん?」
とか聴いて欲しかったのだ。
でも、
母からの返事と態度が取り合わない丸出しだったので、
「なんや!」と思って、
それ以上言わなかったのだ。
まぁぁねぇぇ、
父母は、
「根本的な相性」が全く合わないというか、
しかし、そうやって、
すぐに「ヘッ」とイヤになってはねのけてしまう、
〝自分だけ〟で無責任な部分では、
「似たもの夫婦」というか。
まぁでも、
お父さんよ、
アンタの昔からの突出した、
「ホント困った難儀な部分」の、
積み重ねの結果のせいもあるので、
仕方あるまいよ。
とにかく、
アンタがどこかで知って、
「それ、ええな」とメモして、
気になっていた「たしろ会館」で、
偶然にも葬儀があげられるコトが出来て、
僕はヨカッタよ。
アンタも納得してくれてるんとちゃうかな。
何から何まで始めてで手探りでバタバタで、
「こんな感じでよかったのかな」と、
やったことにモヤモヤもしていたけれど、
気が晴れたよ。
そして、
そうであったことが、
四十九日の前に、
ちゃんと判ってヨカッタよ。
けど、
それにしたって、
ほんとに、
ちょっとびっくりしたよ。
お父さん。
最後に、
「おもしろいこと」をしてくれるやん。
まぁ、
アンタからも「困ったところ」を受け継いでいるのに、
アンタが無責任にも敵対したまま残していった姉が、
母だけ味方につけて許してもらっている姉が、
まだまだ僕にとって、
「なんだかなぁ、困るなぁ」
なことであり続けるかもしれないなぁ、
ということに関しては、
「父親のあんた、どやねん!」という思いは、
今でもするで。
けど、
不思議と、
アンタ自身の、
「最期」に関して、
ちゃんと結果的に収まったのは、
ある意味気持ち的に「解決」となったことは、
不思議に思いつつも、
ほんとにヨカッタと、
ホント思うよ。
ただな、
なぁ、
お父さん。
↑
「スベース」ちゃうで、
「スペース」やで!
そんなこんなです。
That's all for now.
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