毎年、
素敵な自作の絵をあしらった年賀状が届く人がいて、
その方の今年の年賀状には、
予想外のことが書いてあった。
「来年より皆様への新年のご挨拶を欠礼させていただきます。
節目となります本年をもちまして非礼ながら年賀状引退。
今春より折々のお便りにて皆様とお会いできれば幸いです」
ヒザを打った。
パシッと。
「そうか、それがあったか!!」と。
すばらしい。
そうだなー、
全く考えてなかったけどその進み方はあるなー。
と。
「来年から年賀は引退します宣言、
の最後のキリの年賀状」
●
年末のブログにも書いたけれど、
ずっと「手作り」の年賀にはこだわってきて、
これからも年賀を出すかぎりは、
アナログの手作り年賀でやっていきたい、
というのがずっとあって。
一方で、
年賀状というものに対しての疑問の念も年々むくむくと膨らんで。
でも、
これで、
いつか「スパッとやめる」という選択肢もアリだ、
という心の納得が1つ生まれた。
そして、
やめる時は、
「来年からはもう年賀引退です」
と宣言して、
最後の手作り年賀状に渾身のキモチをこめてやめる。
それはシリーズ年賀の12年が、
終わっていようがいまいが、
「もういいんじゃないかこれで」
と思った時に、
スパッと辞める。
山口百恵(古い)か、
千代の富士(古い)か、
安室奈美恵(いきなり最近!)か。
そういうのは性に合っているので、
このやり方は真似てもいいかもしれないなー。
と、
その、
「今年で年賀状引退」年賀状をみてそう思った。
「年賀状ってなんだかなー」と思いつつ、
ズルズルやるよりいいだろうし、
逆に面倒になったからというので、
うやむやに辞めるよりハッキリしていて、
好みだ。
●
実際に、
僕らが子供や若者の頃にワクワクした年賀状も、
時代が変わって、
最近の若い人は出さないというし。
「枚数が多いのが自慢」という心情も、
もはや誰も共感しないだろう。
「いやいや日本の文化じゃないですかー」と、
とりあえずその場だけで表面的に言いたくなる人も、
まあ、
そのうちの3分の2くらいの人は、
「年賀は出すけど相手への伝言は書かず出すだけ」
とかみたいな気もするし、
書いていてもせいぜい「元気ですか?」くらい、
だったりするかもしれなくて。
もちろん、
それはそれでいいにしても、
ならばそういう人は、
「回りの多くの主流が出さなくなった」とかなると、
どうせ「文化」は関係なくあっさり辞めちゃう、
なんてくらいの程度の可能性も高いし。
さらに、
現在の形の年賀状文化は意外と歴史が浅かったりで。
それより、
「日常的に人に文(ふみ)をしたためる」という、
手紙や文(ふみ)自体の文化の歴史の方がもっと古い。
「文化」を引き出してくるなら、
「じゃあキミは手紙やハガキ出してる?」とか言われたら、
「たまに出してます、文化ですから」と、
ちゃんと応えられるようでないと、
格好つかないだろうなー、
ちゃんとしたところから見たならば。
でも、
まぁ、
大抵はそんな格好つくことはしなくて、
テキトーにやりすごしているくらいが多いと思う。
もちろんそれでも別にいいのだけれど、
それなら、
「文化うんぬん」という話も、
そう相手にしなくてヘロッと流してもいいだろう。
何より、
もともと「文化」というものは、
「必要」だったり「やりたいこと」だったり、
そんな時と場合は「続く」もので、
そうじゃなくなるとやはり「廃り」、
でもまた「やりたい」「残したい」という人が現れると、
「復活」し「続く」。
そもそも、きっと、
「文化」とはそんな感じのものだろう。
まぁいいんじゃないかなー。
年賀状はもう一旦廃っても。
そして、
今「出さない」とか言っている若い子の、
子供か孫の世代になって、
「今、年賀状が若者に大ブーム!」
ってことがまた来るかもしれないし。
とにかく、
今はいろんなことが、
「あらためて考え直し時」になっている時期で、
年賀状もそうなのかもしれないよねぇ。
もちろん、
「皆がどうであれ、ワタシは年賀を出したい! 心から!」
という人は出せば良いし、
むしろそうならば、
そういうシアワセな年賀状が一番すばらしいと思うナァ。
そんな年賀状ならば、
是非いただきたい。
ありがとう。
ということで、
毎年年賀状を送っているみなさん、
ある年ふいに、
「今年で年賀状は引退します」
という年賀状が来るやもしれませんが、
その時はヨロシクね。
来年かもしれないし、
3年ぐらい先かもしれないし、
15年くらい先かもしれないし、
50年ほど先かもしれないし、
(何才まで生きるつもりやねん!)。
そんなこんなです。
That's all for now.
✓