『文字の大きなクロスワード』誌の、
〝なごむ亭元楽〟名義のイラスト迷路が完了。
「晩ご飯に何買った?」。
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(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
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ここには何度も書いているように、
僕は生まれは神戸市だけれど、
3才の時に芦屋市の浜手に引っ越した。
1964年の10月だ。
移って数年の間は、
まだ芦屋には砂浜が残っていた。
僕の家は浜からすぐの所だった。
つまりは、
僕らは芦屋市の一番南に位置するあたりに住んでいた。
そのうちに埋め立て工事が進んで、
小学生高学年くらいになった頃には、
広い広い埋め立て地が出来た。
街づくりはまだまだでも、
立ち入り禁止が解けた頃に、
自転車で走ったり足で歩いたりして、
その埋め立て地の一番南の端に行ってみたりした。
行き着いたところにある堤防の向こうには、
下に防波用のテトラポットが積まれていた。
堤防を乗り越えてテトラポットに移って、
立ったり座ったりしてそこから海を眺めたりした。
そこがその当時の最南端になった。
高校に入ったくらいの頃まで、
その埋め立て地に、
建物がどんどんと建った。
(↑1977年)
当時としては未来的な高層住宅がニョキニョキ出来て、
「シーサイドタウン」という名の街になった。
中心部にダイエーが出来て賑わって、
よく買い物に行ったりもした。
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1990年に僕は神戸に部屋を借りて1人移って自立した。
それから5年後に、
阪神淡路大震災がおこった。
芦屋にいた家族は、
はじめの数日は実家の近くの避難所に避難し、
それから僕の神戸の部屋に来て3ヶ月一緒に暮らし、
そのあと芦屋のシーサイドタウンに建てられた仮設住宅に移っていった。
(↑1997年)
その仮設住宅は、
場所的にはシーサイドタウンが出来た当初に、
最南端に位置していたところにあった。
でも、もうその頃には、
さらに南に新しい埋め立て地がもう出来ていて、
そこを通る阪神高速湾岸線は完成していたと思うし、
街自体もその後すぐに完成したんじゃなかったか思う。
家族は1997年の秋に、
仮設住宅を出て西宮のマンションに移った。
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去年あたりから、
「タテパノラマ」の写真を写すために、
芦屋の街をウロウロとしている。
住んでいた頃に知っていたエリアを、
くまなく納得するまで写しきろうと思っている。
けれど、実は、
まだここにアップしていない写真は多くあるのだけれど、
写真をまだ写していない場所自体は、
もう残すところわずかになっている。
で、
シーサイドタウンと新しい方の埋め立て地が、
まだだった。
だから行ってきた。
その新しい方の南の埋め立て地には、
一度ちょろっと行ったことがあるのだけれど、
カメラを持っていくのは初めてだ。
かつては北から眺めたシーサイドタウンを、
南の埋め立て地から眺める。
(↑2016年)
なんか妙な感じだ。
でも、
妙なのは僕だけで、
ここにずっと暮らしている人には、
普通の光景なんだろうなぁ。
そして、
南の埋め立て地に来た目的のメインは、
その、(僕からすれば)新しい埋め立て地の、
南西の端に作られている、
人工の砂浜だ。
ここの写真がどうしても写したかった。
かつて、
僕が引っ越したばかりの芦屋には砂浜があって、
そこが当時の最南端で、
やがて砂浜を埋めてシーサイドタウンが出来て、
そちらに最南端が移り、
今はさらに南に埋め立て地が出来て、
その最南端の一部には、
人口の砂浜が作られている。
なんだか面白いというか、
不思議でヘンというか、
「なんじゃそれは」というか。
無くしたものをわざわざまた作って、
賢いのか馬鹿なのか、
ステキなのかヤボなのか。
「人」というものは、
ほんとうにミョーだなぁ、
とそう思ったりする。
けども、
まぁ、そういうことは置いておいても、
海というのは、砂浜というのは、
そして打ち寄せる波というのは、
浜に吹く風というのは、
磯の匂いというものは、
ほんとうにいい。
大好きだ。
たぶん、
子供の頃に海の近くで育ち、
砂浜で散々遊んで、
あの風や音や匂いが子供時代の安らぎと重なって、
染みこんでいるんだろうなぁ。
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砂浜でムービーを写しました。↓
ちゃんと考えてカメラを動かしながらも、
やはり海だということで、
自然と「♪」となっている様を、
雰囲気で感じてもらえたら。
(風の音が大きいので音量に気をつけて!)
そんなこんなです。
That's all for now.
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