まずは、
次の次の号のセブンイレブン発売『ラッキー! クロスワード』誌の、
〝なごむ亭元楽〟名義のコンビニヒーローパズル完了。
それから、次の次の号の『スーパークロスワード』誌の、
同じく〝なごむ亭元楽〟名義のネコパズル完了。
(C)Hajime Sano
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
で、例によって、
パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、
そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く。
「セブンイレブン」<時代で変わる>
1984年の3月だから、もう30年も前、
22才の時に初めて一人で東京に行った。
2才上のサークルの先輩が二人、
東京で働いていたので、
そこを訪ねて遊びに行った。
先輩の一人モリカワさんはたしかアパレルの営業で(たしか)、
ミヤガキさんの方は関西の地元の就職先をやめてから、
横浜の米軍基地で英語を使って働いていたとかだったと思う。
今、どうしているのかなぁ。
あれ以来、二人とも会っていない。
その頃の東京は、
今の感覚で思うよりもかなり遠く感じた。
人によっても違うかもしれないけれど、
今の僕で例えるなら、海外に行くくらいの感覚があった。
と言っても、
僕よりさらに上の世代の人に比べたら、
もう近くはなっていたと思う。
東急ハンズの関西一号店が大阪の江坂に出来たのが、
丁度そのちょっと前だ。
テレビでの情報量も多くなっていたと思う。
でも、やっばり、気持ち的に遠くて、
関西には無いものがたくさんあるという、
あこがれの場所でもあった。
時代もまだまだ沈んでいない良い時代だったし。
いろんなものがキラキラしてたし。
テレビの「笑っていいとも」が始まってからまだ1年半くらいで、
友人たちの間でもかなり流行っていたので、
その収録が行われていた新宿アルタの前まで行ったりもした。
「東京が何より中心の一番の正解です」ということに、
誰も「異議」も「疑問」も「不満」も「馬鹿みたい感」も、
あまり持たなかったころだ。
もちろんそれはそれで、
タノシク感じることも多くあったのだけれど。
で、その時の旅行のおりに、
東京で初めてセブンイレブンをみた。
もちろん、
コンビニは関西にもあった。
ダイエーが親会社だった関係だからか、
神戸や阪神間でローソンがすでに巾をきかせていた。
でも、セブンイレブンは、
まだ関西には出てなかった。
たぶん、雑誌か何かで知ってはいたのだろうと思う。
「ああ、これがセブンイレブンかー、へぇぇ〜」
なんて、その時に思ったりした。
ちょっと感動した。
今では考えられない。それこそ馬鹿みたいだ。
セブンイレブンはもう、
関西でもフツーに街のアチラコチラで見かける。
その東京旅行から9年くらいたってからの数年の間、
色んな巡り合わせでパソコンで作品づくりをするようになって、
頻繁に東京に行っていた期間がある。
さらに、
今から6〜9年くらい前にも、
よく東京に行っていた時期がある。
行くたびに、
次第にワクワクは無くなる。
まぁ、「慣れてきた」というのもあるだろうし、
それから個人的に段々と、
「大きなお店や企業のことにもうあまり関心と魅力を感じなくなった」
ということもあるだろう。
個人的にそうなったのには時代の流れもあるだろう。
また、建物がどんどん大きく先鋭的になって威圧感が増して、
気持ち的に疲れてしまうというのもあるし、
そういうものを自分としてはもう、
あまり求めていないからということもあるのだと思う。
けれど、
何よりも、
駅を降りて軽く歩いても、
あんまりもう、
感じが変わらないのだ。
こっちでも知っているコンビニがあって、
こっちでも知っているカフェがあって、
こっちでも知っている電話会社の店舗があって、
こっちでも知っている…。
ああいった、
「ひゃ〜知らない、知らない、ここって初めてだらけだわ〜」
みたいなワクワク感が次第に少なくなってしまった。
そればかりでもないだろうけれど、
それもやはり大きいかな。
そういうワクワク感を味あおうと思ったら、
もう外国に旅するしかないなぁ、
なんて、
今は思ったりするのだ。
(もちろん「おんなじ感じの方が安心でワダジは好きですわ〜」
という人はこんな感じの方がいいのかもしれないけれど)
あ、
そういえば、
2年前に初めて広島に行ったときに、
「路面電車が道路をバンバン走っている」光景を見た時の方が、
今や感動的だったな〜。
そんなこんなです。