そろそろまたパズル誌のイラスト描きが続く。
まずは「スーパークロスワード」誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、
「心機一転、新年度に突入 新たな気持ちで迎える4月」
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編集部からのお題は、
「古文の勉強、もう一回やる? 日本の古典を読み解く」
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編集部からのお題は、
「暮らしや経済、化学に雑学… 現代を鋭く読み解く新書」
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編集部からのお題は、
「他のお客様の迷惑も考えて! マナーの悪い泊まり客…」
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(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
で、例によって、
パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、
そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く。
「迷惑」<ふと思ったりすること>
ある程度の長さを生きてきて色んなヒトを見て、
また昔のことなどを若い頃に比べると色々と知ってきて、
その上で思うことがある。
何千年も歴史を重ねても、
「人間という生きもの」自体にそれほど変わりが無い。
それは見た目の話だけではなく中身的なものも言っている。
「戦争」はたぶん人類がいる限り無くならないかもしれないし、
「いさかい」も無くならないのではないかと思う。
そして「迷惑な人」も人類が生きている限り無くならないと思う。
まぁ、もちろん、
" 何を持って「迷惑」とするか? によるんじゃないか? "、
という指摘がきっとあるだろう。
全体としてどう見ても「迷惑」ということもあるし、
あっちでは「迷惑」でなくてもこっちでは「迷惑」ということもある。
他の人が何も思わなくてもある人にとってはとても「迷惑」ということもあるし、
「平気で人に迷惑かける人」が「人に迷惑をかけない人」を見て、
「アイツのちゃんとしたところが見ていてハラが立つのでワシにとっては迷惑じゃ」、
ということもあるだろう。
なので、
とりあえずここで「迷惑な人」というのは、
どう考えても、多くの人から見て、
「あいつはほんとに困るなぁ」と思えそうな人、としておく。
で、そういう「迷惑な人」の事を思う時に、
ふと、こんなことを思ったりする。
宇宙規模の長ーーい年月のスパンで、
「人類」という「種」を考えたとき、
「種の生き残り」という意味では、
「迷惑な人」というのは「種」としては必要なのではないかと。
こう考えてみる。
もし、地球に何かとてつもなく急変動があったとしよう。
「迷惑な人」はたいていの場合、
「自分のことしか考えて無くて、バイタリティーや執着だけはある」
だったりするので、
「何が何でも生き残る」ということにかけては、
思い切りしぶとく強いのではないか? と。
地球の環境が激変しても、
「迷惑な人」的な人は、
「あーじゃこーだ、あーじゃこーだ、けっ!」とか言いながら、
他の人を押しのけてでも生き延びるのではないか? と。
すると、結果的に、
「人類」という種はなんとか生き延び子孫を残せる。
こんな風に、
「迷惑な人」の存在というのは、
いざという時の「人類の種の存続」においての、
「保険」なんじゃないかと。
とすれば、
「迷惑な人」は絶対にいなくならない。
いくらネットで「迷惑な人」を糾弾したところで、
「種」がそれの出現をやめない。
「迷惑な人」は「人類の保険」として、
常に生まれてくるのではないか、と。
ま、
そんなことをちょっとぼんやり考えたりしてみる。
でも、
もし、
ほんとにそういう様な事だとしたらよ、
神様、
今、生きている僕らにとっては、
なんて迷惑な話なんだ。
ねぇ。
| 私は仏さまですよ。/
そうか、
「だれが見ても迷惑な人」は「保険ちゃん」。
そんなこんなです。