普段から、
仕事以外のことでも、
色々な事をこちょこちょとやっているけれど、
ちょっと前から進めているのが、
かつて読んだり見たりした書籍の読み直しだ。
夏ごろから、
昔読んだ村上春樹さんの小説とか、
スヌーピーのピーナッツブックスとかを読み直したけれど、
今度は、
自分の本棚の一番下の段の一番隅ッコに注目している。
そこには、
随分と前に行った展覧会で買った図録や、
随分と昔に買った画集などが置いてある。
今まで手元に置いていたという事はつまり、
その当時とても印象的なものだったりしたものだ。
これまで経験した「阪神淡路大震災後の整理」とか「引っ越し」とか、
そういう出来事があっても捨てずにいた本たちだ。
だけど、
ここ数年、いや、十数年や何十年、
一度もページを開いてさえいないものが結構ある。
そういう本を、
ちょっと見たり読んだりしたいと思っている。
別に、
「あー、懐かしいですなぁぁ、思い出ですなぁぁ」
なんて気分に浸りたい訳ではなくて、
前に興味を持ったものにかなり時間をおいて触れてみて、
結果、当時思ったことと違うことをもし感じられたのなら、
いいかなぁと。
そして、
感じられるものがもしあったら、
それを現在のいろんなことに今の感覚で還元したりしたいなぁ、
なんて思ったりして。
つまりは、「温故知新」と言ってもいいのかな?
それにそもそも、
こんなに長い間読んだり見たりしていなければ、
中身をすっかり忘れていたりするものもあって、
「新しく買って読む本」とほぼ同じであったりもして、
ストンとストレートに何かのヒントのようなものや刺激が、
あるかもしれない。
むしろ、
「すでに読んでしまったからこれは解っている」と、
勝手にずれたところで思い込んでいることもあるだろうから、
「あっ、こんなところに今にぴったりな感じがあったんだ」
という意外な「感覚の取り込み」との出会いがあればなぁと。
で、そのコーナーの隅ッコから、
1986年と87年に観にいった展覧会の図録を3冊ひっぱりだして、
ちょっとパラパラと眺めてみた。
僕は、
大学を卒業して一度就職をしたあとに、
どうしても自分のやりたいことをしたくなって1年半で退職して、
場所も内容も名前どおりの「大阪デザイナー専門学校」に2年通った。
その専門学校に行った期間が丁度1986年から88年アタマなので、
その時期に観た美術展になる。
どれも梅田の百貨店で行われた展覧会だから、
同じ梅田にある学校の帰りに行ったのではなかったか。
当時、お金をそんなに使えなかったので、
充実した美術展に行っていい感じの図録が売っていても、
泣く泣く買わずに帰ることもよくあった。
それを思うと貴重な三冊だ。
まずは、
「イエルク・ミュラーの描く うつりゆく街展」。
1986年8月から9月までの間に行っている。
開催場所は大丸梅田店の中にある大丸ミュージアム。
大丸梅田店は大阪駅のターミナルビルにある。
(当時そのビルは「アクティ大阪」と呼ばれていて、
今は「サウスゲートビルディング」という名称になった)
開くと、
図録の間に新聞の切り抜きも挟んであった。
この展は、
スイス生まれの絵本作家イエルク・ミュラーの、
展覧会だった。
メインはミュラーの描いた「うつりゆく街」と「変わりゆく農村」の連作。
それ以外に同じ様なテーマで描いた彼の絵本の原画もあったのだけど、
展の中心に据えられていたのはその2つの組絵。
まず「うつりゆく街」の組絵は、
趣のある美しかった街がどんどんと近代化されて無機質になっていく様子を定点観察で描いている。
1953年から1976年まで時代を追っていく設定で、
それを8枚の横長の絵にしている。
そのうちの3見開きを。
そして、
「変わりゆく農村」の組絵も同じように、
村が近代化していく様子。
穏やかな情景が次第に無機質な感じになっていく様子は、
なんだか身につまされるようだ。
僕らの身の周りでもかつて起こった、
趣のあった街の情景がどんどん無くなっていったのと同じだ。
それに、
この作者がこれを描いたのが1978年。
僕が展覧会でこれを見たのが1986年で、
その時「そう、今、まさにこんな感じになっちゃったなー」と思ったが、
それからさらに28年。
そこで終わりじゃなかった。
街はさらに変わっていって、
例えばその専門学校時代に行き来しウロウロした大阪駅周辺も、
当時から充分に大きな都市だったが、
あれからさらに開発が進んでビルはさらに高くなりツルンとして、
その数もニョキニョキと増えて、そのエリアも広がった。
「どこまでいくの?
ほんとにそろそろええ加減にしといた方がええんとちゃうん?」
なんて思う。
そういうことを思ったり考えたりするきっかけには、
この絵はいいかもしれない。
また展覧会をするとか、
ちゃんとした書籍にするとかすると、
いいんじゃないかなぁ、
と思ったりする。
本棚の隅ッコからピックアップした図録の2つめは、
「ボテロ展」。
1986年10月の開催でこちらも大丸ミュージアム。
ボテロの絵は一見ちゃんとした絵のようでいて、
しかし、描いている人物が全て、
ぽっちゃり。
特に「太った人」を注目して描いているという訳ではなく、
とにかく出てくる何もかもが、
ぽっちゃり。
みんなぽっちゃり。
そういう表現方法なのだぽっちゃり。
馬も木もぽっちゃり。
楽器もぽっちゃり。
ダンスもぽっちゃり。
とにかくぽっちゃり。
天使もぽっちゃり。
あとボテロは、
絵だけでなく彫刻もやっているのだが、
もちろん、
ぽっちゃり。
あくまでぽっちゃり。
去年の春に、
友人Nと広島まで美術展を観に行った時、
会場の広島現代美術館の敷地の中に、
常設のボテロの彫刻を見つけた。
おっボテロ、と思った。
ひと目で解る。そこがこの人のオリジナリティ。
おまけに、
実物はなんだかカワイイ。
「ボテロ」は、
日本では一般的には、
今だにそんなに知られていないみたいだけれど、
この「キャラクター」的なぽっちゃり加減は、
お金をかけて「表面的でありがちな一般的メディア宣伝」をしたら、
結構、注目されて受けるかもしれないと思ったりする。
けれど、
それはそれで「なんだかなぁ」とも思うから、
ひっそりとでいいから、
またどこかで展覧会をしてほしい。
最近これまたありがちな、
「長蛇の列で長時間待ちで会場に入ってもギューギューあっつっつ」
なんて展覧会になったりせずに、
スッキリと気持ちよくゆっくりと直接また観てみたいなぁ。
(沢山観客が入ってくれないと美術展という環境全体が、
成り立たなくなるのは、もちろん重々承知なんだけどね)
本棚の隅ッコから取り出した3つ目の図録は、
「エッシャー展」。
これは阪神百貨店で1987年の4月にあった。
そうかー、当時は阪神百貨店でも展覧会をしてたなー。
バブル景気のピークに向かってまっしぐに登っていた頃だから、
百貨店はもうキラキラの輝きが真っ盛りの頃やなぁ。
いわゆる、「たまし絵」で有名なエッシャー。
上かと思えば下、下かと思えば上。
外かと思えば中、中かと思えば外。
「いや〜ん、あら〜ん、どうなっちゃってるのぉ〜ん?」
な、そういうテクニカルな画、
だとか。
ああ、クラクラする。
それから、
生き物がモザイク模様の様に、
地と図で反転されつつ繋がり繰り返されていく、
「いや〜ん、じっと見てたら何が何か解らなくなる〜ん」な画、
だとか。
そして、
その模様として地と図で組み合わさった生き物たちが、
次第にウネウネと変態していく、
「いや〜ん、見てたらなんだか、フラフラする〜ん」な画、
だとか。
エッシャーは久しぶりに今回じっくり観たが、
やっぱり、
絶対にこの人は「変わった人」だ。
間違いない。
ぜったいオカシイよぉー、
この人ぉぉ。
しかし一方で、
かつ、
かなりアタマが良くないとこういうものは描けないだろなぁ。
それにしても、
改めて観ていると、
なんだか随分と新鮮で今っぽい。
特に生き物のパターンはデザイン的でシュッとしている。
いわゆる、当時はなかった表現の「クール」な感じ。
絵が持つ謎めいたところも、今、気にかけられそうな感触だ。
最近の美術展の傾向は、
「しばらく注目が下がっていた人に再注目する」
ということも多い気がするのだけれど、
エッシャーなんてのは丁度そんな感じで今ピッタリかもしれない、
なんてことを思ったりする。
今年、明石市立文化博物館で小さな展覧会があったらしいけど、
好評だったみたいだ。
もっと大きなところでドーンとやってもきっと、
もっと沢山入る気がするなぁ。
もし開催されたら、
長ーい行列や長時間待ちや館内でのギューギューはいやだから、
その時は、出来るだけ平日の天気の悪い日を狙って行こう。
以上、
本棚の隅ッコから、
すくい取って久しぶりに見てアレコレ思った、
図録三冊でした。
これで、見たり思ったりした感覚が少し頭の中に入ったので、
何かまたじんわりと暖められて、
それが自分の中でちょっとでも何かの形になれば。
そんなこんなです。