さて、
今日はまたまた、
この少年に登場してもらうことにした。
自分でもこの写真を見ていて、
ちょっと説明しておきたいなー、
と思ったことがあって。
だから、3回目の登場。
松のことは、今回は忘れてもらっていい。
この少年の被ってる帽子を見て、ふと、
あることに気がついた人もいるかもしれない。
そう!
ほら、
関西の子なのに、
読売ジャイアンツの帽子をかぶっている。
他にもあるねんで、
ほら。
↓
僕に会ったこと無い人や、
会ったことあるけれどそんなに深く話しをしたことの無い人の中には、
「へぇ、関西の子だけど、ジャイアンツファンの子だったんだね?」
と、ちょっと関東弁っぽく思う人もいるかもしれない。
場合によっては、
「そんな帽子被って歩いてっと、
阪神ファンに殴られちゃったりしねぇのかい?」
とよけいなあり得ないことまで心配されるかもしれない。
また、
僕のコトを知っている人の中で、
「あれ? 昔は阪神ファンで、85年の優勝の時はよく見に行った、
とか前にゆうとったけど、ジャイアンツの帽子被っとるやんけ!
ほんまにこの人のゆうてることは、どうなんですかぬぇー」
と、イチイチ、
「負の良くない気」を自ら選んで自分の中に取り入れちゃう人もいるかもしれない。
そうならちょっと気の毒だ。
ので、
ちゃんと説明しておこうと思う。
いや、中には、
「いやぁ、別にそんなんアンタの帽子のコトなんて何も気にしてなかったしー、
ケケケケケ」
というようなヒネクレている人もいるかもしれないけれど、
まぁいいや、
ちゃんと説明しておこうと思う。
まず。
この写真の頃の我が家で、
プロ野球を見たり応援したりしている人など、
だーれもいなかった。
当時の父親はプロレスを観てシーシーと口を鳴らしているくらいで、
スポーツはほぼ無縁だったし、
祖母、母、姉の女性陣は、
その時代の女性の多くがそうであったように、
プロ野球には別段興味が無かった。
我が家が、阪神タイガースを応援するのは、
この写真の頃よりももう少し後のことだ。
小学4.5年生くらいだったか、
母親が近所の仲がよかった奥さんから、
「ウチでは毎朝流しているの、おもしろいわよ」
と教えてもらったラジオ番組、
「おはようパーソナリティー 中村鋭一です」
を聴き始めてからだ。
ABCラジオ(大阪・朝日放送)でやっていたその番組は、
局のアナウンサーである中村鋭一氏がやっていた、
いわゆる朝の情報番組だったのだけれど、
中村鋭一氏が阪神タイガースを番組内で熱狂的に応援していて、
関西では人気になっていた番組だった。
だいたい、
僕の家というのは、
何かの影響で、表面的に、パッと火がつく。
しかし、あくまでも、
「おうちの中でわーわー言って燃えているだけ」の、
「密閉型内燃」的な一家だった。
だから、
阪神を応援すると言っても、
しっかりと腰をすえて、
甲子園に応援に行く、とか、
ファンクラブに入る、とか、
息子にタイガースの帽子をかぶせる、とか、
そういったことは全く無く、
わーわーきゃーきやー言ってラジオにのっかって、
内々ではしゃいでいるだけだった。
その後も、
朝の時間にそのラジオ番組を聴く習慣は我が家で続き、
司会が中村鋭一氏から同じく局のアナウンサー道上洋三氏に変わっても、
番組は阪神タイガースを応援しつづけたので、
「家庭内完結タイガース応援団LIte」でありつづけた。
それでも、
そのおかげで、
江夏・田淵・藤田・遠井・ラインバック・佐野・江本・小林など、
長い間優勝はできなかったけれど個性的な選手のいた、
そんなある時期からある時期のタイガースを知っている。
1985年になって、
阪神タイガースの快進撃が始まった年は、
さすがに父親が「試合を観に連れて行ってくれや」というので、
(その頃までにもう僕は何度か、友人などと甲子園での観戦経験があった)
観に行った、たしかそんな記憶がある。
その年に優勝をして、
それからまたタイガースは、
しばらく優勝から遠ざかる。
現在僕は、
何か注目されていて気になった試合以外は、
ほぼまったくと言っていいほど、
「プロ野球」は日常的には観なくなった。
話を戻そう。
そんな風に僕の家が阪神タイガース熱がやってくる前は、
上に書いたように、
我が家に「プロ野球」はまだ入り込んでいなかった。
母親が昔からテレビで「高校野球」を観るのが好きで、
(野球というよりも高校生の一生懸命な姿が)
夏休みに一緒によく寝っ転がってTV観戦したのと、
親戚の「京都のおじちゃん」が阪急フレーブスのファンだった、
くらいかな、この時期の野球との周りのかかわりは。
さあ、
じゃあなぜ、
写真の中の少年でもある、
僕が「読売ジャイアンツ」の帽子を被っているのか?
話は簡単。
その頃、僕は、
テレビアニメでやっていた、
「巨人の星」に夢中になっていたのだ。
単に、
そういうことなのである。
(帽子の少年の写真は1970年くらい。
下敷きは、絵柄などの感じから観てそれより少し前になるのかな、
どこかの遊園地かレジャーランドかで貰った下敷き。嬉しかった)
そんなこんなです。