今から20年前の1993年に写した神戸三宮の写真がある。
その当時の僕は、
パソコンを使ってアニメーションを作っては、
幾つかのコンテストに出していた時期で、
あるコンテストに応募するアニメーションの素材として、
人がヨコに向かって歩いている写真を使いたいと思い、
三宮に出掛けた際に写したものだ。
JRの西口か阪急電車の東口から南の交通センタービルの方へ出て、
センター街に向かう横断歩道の真ん中から西側を写した写真で、
まだ阪神淡路大震災がおこる前なので、
左の奥に旧「神戸新聞会館」なども写っている。
それが、これ↓。
で、これが今は、
こうなっている。↓
左奥の薄い緑の壁面の建物が、
震災で壊れて無くなった旧「神戸新聞会館」を、
2006年に再建した通称「ミント神戸」。
写真の上部の黒い部分は、数年前に出来た、
交通センタービルの2階から南のビルに延びている通路だ。
さて、最初の1993年の横断歩道の写真を写した時に、
もう1枚写した写真がある。
それはその横断歩道からJRを隔てて北っかわになる、
阪急三宮駅のビルで、
昭和の初めに建てられた、小振りのサイズで有りながら、
今みても格好の良いビルだ。
それがコレ。
1993年の撮影。北東からの眺め。↓
改めて、なんだかとてもステキなビルだ。
しかしこれも阪神淡路大震災で被災して壊れて、
その後、仮の建物的なものが建ち、
今でもそのままで、こんな感じ。↓
で、
ここに、この数年内に、
大きな駅ビルが建つらしい。
その新しく建つ予定のビルでは、
外観の一部に昔のビルの塔のような感じと、
アーチ窓のデザインはあしらうとされているが、
ビル自体は前のビルと比べると、
かなり大きいものが計画されているようだ。
ほんと、
「もうどデカイのはいらないよ。
コンバクトな街である三宮らしい、
昔みたいな小振りでイキなものでいいじゃないか」
と思うんだけれど、
たぶん、誰がなんと言おうと、
「ボクちんはここにデッカイのんを建てるんでちゅー!」って感じで、
エラソなビルが建つのだろう。
けど、まぁ、
今回の場合は、
そういうのが言いたいワケではなくってね。
三宮駅の震災後から今に至っている「仮の建物」、
まぁ、どうみても、ショボイ、といえば、
しょぼい。
けど、
ショボイものではあるけれど、
思えば震災から18年ちょいくらいの長い年月を、
みんなあの風景と付き合ってきた。
18年といえば、
生まれた子が18才になる年月だ。
6年生だった子が30才になる年月だ。
32才の人が50才になる年月だ。
52才だった人が70才になる年月だ。
72才だった人が…、もういいか。
まぁそのくらいの長い年月、
三宮のあのあたりに行くといつも、
あの景色をずっと見て感じてきた。
その長い付き合いの「なんてことはない三宮駅あたり」が、
ここ数年で確実になくなるのだ。
そして、
これは誰もが経験すると思うけれど、
いつもそこを見ていたはずなのに、
無くなってしまうと、
そこがどうなっていたか、細かく何があったか、
たいてい忘れちゃうんだ。
だから、
ここにちょっと記録しておきたいと。
つまりは、
前回の「泉勇之介商店」の場合は、
「神戸にとって本当は価値のあるものが無くなってしまって、
せめてここに写真を残しておきたい」、
というものだったけれど、
今回のはちょっと違って、
「何気なく今あってなんとなく見ているものを、
ちゃんと存在しているうちに記録しておきたい」
というものなんです。
さらに実は、
あの周辺には部分的に、
以前のビルだったときの貴重な名残がいくか残っていて、
何げ無さすぎて今もチェックされにくいだろうし、
改めて記録しようとも思われにくいだろうし、
きっと次のビルを作るとなるとあっさりと無くなっちゃうと、
思うのだ。
だから、
サラッとでいいから、
ここに記録してとどめておきたいなと。
前置きが長くなってしまったけれど、
ここから先の記録は、
写真をメインで言葉も添えて。
(写真はそれぞれクリックすると、
別ウインドウでもうちょっとだけ大きな写真が開きます)
まずはもう一度、
「仮の建物」をもう少し大き目に。
こやって見てみると、このぐらいの建物でいい気がしないでもない。
前まで近づいてみる。
結構「カワイイ」。
カメラのレンズのせいでえらく尖った角度にみえるけれど、
実際はもうちょっと緩やかで。
ガラスの部分をよく見ると中に螺旋階段が見える。
これは昔のビルにあったものをそのまま利用したものだ。
↓の図のように塔の内側に螺旋階段があった。
震災後、解体をしたときに、
螺旋階段も含めて下層部分の構造は残したのだろう。
東の道路側から上に登る階段。
震災前のビルではこの上に3館の映画館があった。
(阪急シネマ、阪急会館、阪急文化)
震災後も「阪急会館」の名で1館だけ映画館が残っていて、
その間この階段は映画館専用の階段だった。
その映画館も数年前に無くなり、
今はこれを上がると専門店があり改札口にも通じている。
そして、
逆に下に降りる螺旋階段も残っている。
さっきの上への階段は道路側から、
こちらは後述する、広めの通路を内側に入ってすぐのところに。
ぐるっと下へ螺旋階段。
今は地下に「いかりスーパー」というスーパーがあるが、
昔はこの下は阪急百貨店の小店舗の食料品売り場だった。
あのころのこの階段はどうだったのだろう?
外の階段とこの階段は繋がって出入り口は1つだったのか、
きっとそうだと思うのだけれどハッキリ憶えていない。
(ほらね、忘れちゃうでしょ?)
映画が終わって上の階から螺旋階段を、
みんなでテロテロと降りてきたことしか憶えていない。
で、地下へは降りずにさっきも書いた広めの通路を入る。
下の写真で言うと、
さっきの階段は正面の明るい出口のあたり、
そしてこの写真の背後に軽い階段があって、
それを登ると阪急三宮東口の改札がある。
今でも待ち合わせに使われるこの広めの通路、
昔はもちょっと広くて天井も高かった。
そして上の張りの部分に今上映している映画の看板だかが、
横に長くかけられていたように思う。
↓こんな感じだったのではないか。
では外へ出る。北側へ。
上の通路の写真で言うと左側へ。
いつからか、「パイ山」と呼ばれる広場がある。
小さな小山が幾つかある広場。
それがオッパイの形みたいなのでこの名前がついたという。
ここは待ち合わせ場所でもあるけれど、
路上ライブ演奏のメッカでもある。
たまに「うまいなぁっ」ってな感じのバンドが演っていたりもする。
この写真の右手が駅になるのだけれど、
そこにデカイビルが建ったりすると、
このパイ山ののどかな雰囲気も変わってしまうかもしれないな。
何より風の抜け方は確実に変わっちゃうだろうな。
とういより、ビルが出来ても残るのかなぁ。
この土地は誰の持ち物なんだろうか?
「パイ山」から西へ向かう。
これが駅側。真ん中から少し右に通路が見えるけれど、
そこを入ると先程出てきた通路の方になり、
駅の改札へも向かえる。
でっかいビルに変わると、この風景もきっと変わる。
何より、今のようにすぐ空は見えなくなる。
見た目も流れる風も絶対に変わってしまうが、
まぁきっとここの権利を持っているボクちゃんたちにとっては、
「そんなこと別に知らないでちゅー、建てるんでちゅっ!」
なんだろうなぁ。
おっと、ついつい。
途中で「楽天地」の案内。
楽天地と名付けられているところが、
どこからどこまでになるのか知らないけれど、
阪急とJRの高架の間のスキマの路地裏的飲屋街がたぶんそうで、
そしてJR側の高架の2階↓
ここも楽天地の範囲内だったと思う。
僕の母親は戦前、
まだ住宅地だったこのすぐ北側に住んでいた頃に、
ここに来て子供用の遊技施設で遊んだ、
という話を聞いたことがある。
今はシャッターが閉まっているところが多いが、
最近、新しい飲み屋などがちょろちょろとできているみたいだ。
次の再開発ではこれもなくなっちゃうかもなぁ。
また、もとにもどって、さっきの通りを西へ。
ここは以前、「三劇」という映画館があったところだ。
10年くらい前はまだあったんじゃないかなぁ。
この並びには他にも、以前には、
映画のポスターが飾ってあったマニアックな喫茶店や、
「竹葉亭」という鰻屋さんなどもあったりした。
今はもう、ゲームセンターとコンビニが並んでいる印象。
そして、阪急三宮駅の西口に。
こういうのは普段、つい見落としてしまうけれど、
昭和な感じのシャレたデザインが上の方にあしらわれている。
そして、階段とエスカレーターの方へ上がって振り返ると、
こんな感じ。
西口のメインの待ち合わせ場所でもある。
再び階段とエスカレーターの方、
すなわち改札のある方へ目を戻せば、
こんな感じ↓。ここは震災前と変わらない。
とても素敵だ。
これは無くなるのはもったいないなぁ。
こんな駅の構内が大きな都市部にずっとあってもいいと思うけれどなぁ。
こうやって改めて見て、
初めて気がついた。
ここの西口のアーチ、そうか、
東口のかつてあったビルに意匠としてデザインされていたアーチと、
イメージ的に繋がっていたのか。
いいねぇ。
そして、
階段、もしくはエスカレーターを登りながらふと左を見ると、
そこにもアーチ状の窓が。
上からぶら下がっている照明器具も、
シュッとしながらも「人が作った」感じがしていい。
こうやって並べて見てみると、
「ああ、あそこも、あのあたりも、写しておけばヨカッタ」なんて、
足りなさ加減を思ったりもする。
まぁ、キリがないかもしれないので、
このくらいでヨシとしておくけれど、
また機会があれば写真に写してきて、
載せようと思う。
なんだか最近ほんとに、
人間の心の安定にみあった程よいサイズがある、
ような気がしてならない。
それは「新しい」とか「古い」とは関係ない話だから、
「心地よいサイズ」とそのデザインをそろそろ、
もっと追求してそこに居るようにした方がいいんじゃないかなぁ、
と、思ったりする。
そしてそれが、また後の人たちに、
「これはいいなぁ、ずっとおいていてほしいなぁ」
と思って貰えることが、
世代と時代を超えたコミュニケーションじゃないかと、
そういうちょっとコナマイキことを、
思ったりしている。
そんなこんなです。