いつものパズル誌の編集部から、
新しく出る「メイトのアロー&スケルトン」誌の、
「うさピョンパズル」完了。
今の神戸の中心部の三宮からちょっと東、
大阪側から向かっていくと、
国道二号線が海岸通りに向かう道へと分岐する場所に、
道路をまたいで貨物列車の渡る橋がかかっていた。
子供の頃、
そして自分で車運転するようになってからも、
その下を自動車で何度も通った。
「ここをくぐるともうすぐ三宮」という、
キモチ的な目印でもあった。
貨物列車はここより東にある灘駅のあたりで、
通常の客車が通る線路から分岐して港方向に向かい、
その国道をまたぐ橋を渡ってから、
暫く道路のヨコを平行に走って、最終的に、
港に近い貨物専用の大きな駅へと入って、
そこで船に乗せる荷物を降ろしたり、
港で降ろした荷物を積んだりした。
その貨物専用の駅というのは、
僕の祖母が戦後すぐに旦那さん(僕からみて祖父)を急病で亡くし、
祖父の知り合いの紹介でそこで食堂をはじめ、
飲食をやれば飛ぶように売れた食糧難の時代に、
貨物駅内で働く労働者に向けてうどんやカレーを出して、
自分の母親(曾祖母)と子供二人(母と伯父)を養った、
という縁のある場所でもある。
だからそこへは僕も、
子供の頃に何度か行ったことがある。
線路が何重にも並んでいる普段は入ったりしない敷地内は、
男の子ゴコロをわくわくさせたりもした。
たぶんそういうこともあって、
貨物駅や道路脇に見えていた線路やその貨物が通る橋は、
全部ひっくるめて自然に親しみを感じるものであった気がする。
その後、時代は変わって、
港の近くではコンテナを運ぶトラックがドカドカ走り、
祖母が働いていた貨物列車の駅もそのうちに無くなり、
数年前にその広大な敷地は震災復興記念公園になって、
一度だけ母をつれて見に行った。
僕も今は車を持っておらず、
また誰かの車に乗せてもらってその国道を三宮まで行くなんてことは、
ここ数年、ほぼ無かったか、
あってもそんなに周囲を気にしていなかったんじゃないかと思う。
10日くらい前のこと。
友人に付き合ってふらふらと、
2号線沿いを三宮方方面へ向かって歩いていた。
するとその友人が、
「あれって歩道橋かなぁ」と言うので目をやると、
そのかつて貨物列車が渡っていた橋だった。
(左が三宮方面、写真は南西より)
“あー、まだあるのかぁ?”
“あれ? こんな色やったっけぇ?”
なんてことをふわっと思いながら、
「あれは、昔、貨物が走ってた橋やわ」と答えると、
彼は、
「けど、ほら人が歩いとらん?」と言う。
「へ?」
と思って観ると、
確かに人の頭がひょこひょこと横に移動している。
「あれっー?」っと思って、
2人で急いで繋がっている階段を探して、
橋の上まで行ってみると、
ああ、知らなかったー。
そうかーっ。
そうかーっ。
そうなんやー。
そんなこんなの神戸より。