今年に入ってブログ更新がまばらなのは、
掃除のせいです。
年末、
お忙し&お疲れで大掃除が出来なかったので、
年明けから掃除を始めたのだけれど、
今回はちょっと徹底的にやってみようかと。
この部屋に引っ越しで戻ってきてから約2年半、
その時に「これからも必要かな」と思って結局使わなかったものを捨てたり、
1つ1つの場所をもう一度整理しなおしたり、
こまめに拭き掃除したり、と。
イラストの仕事も入ってきているので、
今週からはそちらもしつつになるけど、
この徹底的大掃除が終わってからが、
ようやく僕にとって、
「2010年が始動」といった感じ。
今日、
1月17日は、
神戸に大震災があってから丸15年の日。
あの日、
僕はこの部屋で地震を経験した。
そうかぁ、あれから15年かぁ。
今日、
大家さんから電話があった時も、
その話になった。
当時、
実家がダメになったので(壊れなかったけれど柱が外れかけていた)、
仮設が当たるまでの間、
家族がこの部屋に来て一緒に過ごすことになった。
「すいません、家族も一緒にここでしばらく暮らしていいでしょうか?」
と聴きに行くと大家さんは、
「もちろんいいわよ。こういう時だから。落ち着くまで何ヶ月でも」
と言い、「布団が足りないでしょう? ウチに使っていないものがあるから使って」と数枚の布団をわけてくれた。
震災後しばらくは水道が止まっていたのだけれど、
「あそこのお家に行けば水を使わせてもらえるわよ」
と教えてくれた。
母が風邪をひいて喉と鼻をやられた時、
耳鼻科の場所を教えてくれたりもした。
ほんとに助かって、
「ありがたいなぁ」とウレシかった。
その地震の時以前からも、
大家さんには感謝しているところがあった。
1992年に会社をやめてフリーになった時、
「一応やっぱり言っておかないとな。大家としてイヤな顔されるかな?」と思いながら、「フリーになりました。昼間から部屋にいたりしますが、よろしくお願いします」と言いに行くと、
「あらそう。タイヘンねぇ。でも、自分のしたいこと頑張ってね」と、
励ましてくれた。
その後、入金が不安定で思った日に入らず、
家賃をしばらく待って欲しいとお願いをしに言ったときも、
こころよく信頼して待ってくれた事もあった。
フリーといえば聞こえはいいが、
要はプー太郎に毛のはえたみたな当時の僕、
賃貸住宅の大家としてイヤな顔をしても不思議ではないのに、
大きなキモチで信頼してくれるのがウレシかった。
で、
以前にそんなコトもありつつの、
その震災時に親切にしてくれたコト。
「これはウレシイなぁ」と思った。ほんとに。
実はあの震災時に、
母の兄(つまり僕の伯父)夫婦とウチの家族は、
祖母をからめてひともんちゃくあった。
あんな非常事態になっている時でも、
伯父にとって自分の母親でもある祖母が暮らしている僕らの家の心配や、
祖母や僕らのコトに対して、
「心配」や「温かさ」などの言葉や態度はまるで無く、
あからさまに、それ以前からしてきたのと同じように「自分たちのこと」だけだった。
震災があった数時間後、僕はこの部屋から実家に歩いて戻った。
で、つぶれはしなかったとは言え、大きな余震がまだあった中で、
そんな状態の家には怖くてとても居られず、
数日その近くの避難所で家族と暮らした。
何日か目に、
地震で影響が無かった伯父の家に祖母を母と姉と共に数日しばらく滞在させることになった。僕らとしては、その後祖母だけを落ち着くまでのしばらくの間だけ預けようとその位に思っていたのだけど、明らかに、
「このままずっと祖母がいるのではないか」
「自分たちは会社がダイジなのでそれどころではない」
「ちょっとでも祖母がいるのはイヤ」的な態度で。
あまりに腹に据えかねるコトが続いたので、
ムリヤリな形で祖母をその家に残して、
避難所から僕の部屋に来ていた父と共に、
母と姉も伯父宅からこの部屋に移って過ごすことにした。
そして家族で、毎日ここから実家に通って、いろんな手続きや被災してグシャグシャになった実家の中の片づけなどをすることにした。
その後伯父夫婦からは話し合いみたいな連絡は何もなく、
祖母はその後、こちらにはひと言もなく病院に入院させられた後、
老人ホームに入れられ、そこで亡くなるコトになるのだけれど、
そちらのその後の話はこのくらいにして、
とにかく、震災後に、
血のつながった親戚はそんな自分のことしか考えていない態度だったのに、
血のつながりのない他人の大家さんが、
ほんとに親身になって優しく接してくれたのだ。
しかもさりげなくフツーに。
それが、
僕にとってその後もここに住んでいる上で大きなことで、
大切でダイジなコトだった。
今は、
幅広い人間関係をつなぐというコトは出来るだけせずに、
表面的にだけすませてしまう方が「めんどくさくなくていい」、
というような人が多いように見える。
その一方で、
同じ年代や同じコトをしている人の中だけで妙に盛り上がったり騒いだりしている。けど、それでさえ、どこまでみんな本心で和やかに付き合っているか疑わしい。
幅広い人間関係は、
もちろんうっとおしいと感じられる部分も多いかもしれない。
必ずしもこちらの思う通りにならないかもしれないし、
「えっ?」と思うようなコトも時にあるかもしれない。
けれど、
「どうしてもイヤなヤツ」「何故かウマの会わないヤツ」というのは別にして、
大きな目で見ての小さな問題は「いいじゃないか」と思うのだ。
僕と大家さんの関係にしてもたぶん、
大家さんが良くしてくれるのは、
そもそも僕が「男性でシュッとしているから気に入られた(自分で言うか)」
という表面的なコトだけで始まったワケではきっと無く、
僕が「フリーになったこと」とか「家賃遅れる」とか自分のマイナス面を隠さず言ったり、ちょっとしたお土産をもっていったり、
時には何か注意されたことを僕が受け入れたり、
そうすることで「人間的つながりを大切にしたい」という僕のキモチが大家さんに届いたことから、始まったのではないかと思う。
そんな感じで始まって、
時には大家さんが差し入れしてくれたり、
時には僕が大家さんのお願いをちょっと聞いたり、
そうやってちょっとずつ紡いできた人間関係なのだ。
そして、
そうやってつむいでおいた人間関係によって、
のちのち「キモチが救われた」というコトも、
それですごく「ウレシかった」というコトも、
やはりあるんだ。
3年半前、
僕はここを出て引っ越しをした。
いろんな憶測が飛び交ったと思うけど、
基本的な根っこの理由は「15年住んでキモチ的にも硬直してきたので目先を変えたかった」だった。ホントに。
いや、ホントホント。
で、そのとき大家さんは、
「そうね、そろそろ羽ばたきなさい」という言葉で送ってくれた。
その言葉もウレシかった。
その時僕のコトを知っている人だったら、
「♪つばさが欲しい」をBGMにかけてあげたくなるくらいだ。
(けど、もちろん、そんな見送りBGMはいらない。だって、僕はもともと、つぼさを持っている)
そして、引っ越すのだけれど、
でも、引っ越し先が「なんだかなぁ」で、
もう一度引っ越ししようか、と考えるようになる。
で、
オシャレなマンションも見に行ったし、
「静かな隠遁生活」みたいな一軒家も見に行った。
けど、
結局、
またやっぱりこのマンションに戻ってくるコトにした。
その大きな理由が、
大家さんとの人間関係だ。
ここから引っ越す時も大家さんは、
「さみしくなるわ。ちょくちょく遊びにきてね、ひと月に一度とかね」
と言った。
まず、これが最初の殺し文句だ。ちょっとシンミリした。
引っ越してからしばらく忙しくて連絡ができずにいたら、
ある日電話がかかってきて、
「引っ越してからサミシイわぁ。連絡ないので、もうこっちのコトなんか忘れちゃったのかなぁと思っちゃったわ」と言った。
これも殺し文句だ。ちょっとクラッとした。
引っ越してから遊びに行くと、
住んでいたときは大家さんの勝手口のドアから入っていたのに、
「こちらから入って」と正門の方から招かれた。
そして、テーブルにはチョット高そうなお弁当とビールが置いてあった。
VIP扱いにちょっとフルッとした。
引っ越しを考え始めた頃、
遊びに来たときにリフォームしたもと居たこの部屋を見せてくれた。
半分冗談半分本気で「あー、ここに帰ってこようかなぁ」と言うと、
「え、もしそうしてもらえるなら、私ウレシイわよ」と言った。
これまた殺し文句だ。かなりグラッと来た。
そして、
リフォーム後この部屋の借り手がなかなか決まらず「空き」のままで、
その、ずっとダレも入らなかったというのも偶然のご縁なのだけれど、
当時大家さんの言うには、
「サノさんの後でしょ。ホントに気に入った人じゃないとイヤなのよ」と。
とどめの殺し文句だ。ヘナッとした。
抱きしめてキスしてあげようかと思ったくらいだ。
そのあたりの時点で、
もう8割方帰ってくるつもりにしていた。
とりあえず「他にもいろいろと部屋を見てから」
というスタイルをとっておこうと思ってそうしていたけれど、
実は、もうほとんどココロに決めていた。
だって、
オシャレなマンションは、
金さえあればどこにだってある。
けれど、
ここまで確立した暖かい人間関係は、
金では買えない。
もう、ここに帰ってくるしかないだろう。
転勤とかそういう仕事の理由で引っ越したワケではない。
キモチの理由で引っ越したのだから、
キモチの理由で気軽に帰ってきてもいいだろう。
そして、帰ってきた。
2年半前に。
で、
帰ってきて、
また大家さんはときどき差し入れをくれて、
僕は時々大家さんのお願いを聞いて、
そして、
「寒いわねぇー」とか「暑いですねぇー」といいながら過ごしている。
このあたりも、
昔に比べれば変わった。
僕が最初に入った約20年前は、
周辺もちょっとした趣があったけれど、
今ではマンションが沢山建ってクルマも増えて、
のんびりした感じもなくなってきた。
好きだったお店もどんどんと無くなったし、
好きだった公園からネコが居なくなってしまった。
また、
ニヤニヤしながら歩いているニイチャンやオッチャンがいたり、
コソッとして何かを込めた感じのネエちゃんやご婦人が歩いていたり、
ちょっと空気が変わった。
そして、
このマンションにしても、
「平日夜中の3時4時に飲んで帰ってきた時、ふと見ると必ず並んで電気がついている部屋が3つ」とかあったり、
「見るたびに違う女性が出てきているんじゃない?あの部屋」とかあったり、
「クッキーだかケーキだか作る場所として借りたハズなのにまったくケーキだかクッキーの匂いのしない部屋」とかあったりして、
「アヤシイなぁー」なんだけど、
それでも、
やっぱりここに住んでいるのは、
代え難い大家さんとの人間関係があるからだ。
と、
そんな大家さんと僕の人間関係を、
「そう、私もそう思うし、心がけている」と思ってもらえる人や、
「いいなー」とうらやんでくれる人もいる一方で、
「おかしいんちゃう?」とか「きしょーい」とか「うざーい」とか思って、
やっぱり理解出来ない人もいるんじゃないかと思う。
でも、ちょっと時間を戻して、
「あたたかい」と言われている昭和の、
真ん中くらいまでならザラにそこらにあった人間関係だと思う。
そして、
ほんとに暖かいイイコトもある。
そしてそして、
お節介を承知で言うと、
「そんなコトを言わずに、そういう人間関係を、
タノシミつつちゃんとつむいでおいた方がいいよ」
とも思う。
そしてそれを、
もしちゃんとしていたならば、
いつか何かの救いになったり、
ありがたく暖かく感じるコトもある、
とそう思う。
阪神淡路大地震から15年。
「地震に備えて何をしたらいい?」という問いがあったとしたら、
僕はそれを答えてあげたい。
長くなったけれど、
今回はあえて写真もイラストも入れずに、
文章オンリーで。
読み終えられる人だけが読んでくれたらと。
そんなこんなです。