今日(9日木曜)はほんとに湿気が多くて、
ムシムシムシと蒸し暑くて、
ほんとにダルかった。
まとわりつくような。
で、
8月中頃に発売予定の、
「セブンイレブン限定クロスワード誌」のイラスト描き、
木曜日にササッと1日で完了。
編集部からのお題は、
「大事にならなくて良かったー ボクは「つい」「うっかり」が多すぎる!?」
編集部からのお題は、
「数字がゾロゾロ出てくる 気になる数字を気にしてみよう!?」
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
エコ。
このままちゃんと進んで。
今から20年くらいしたら、
「いやぁ、エコを進めたおかげて最近の夏の暑さは一時よりマシなったねぇ」
と言っているだろうか?
どうもボクは、
そうはなっていない気がしてならない。
例えば、
「高度成長期に汚かった川がみんなの努力でキレイになりました」
というコトはある。
でもそれは、一部のそれに熱心な人たちのガンバリのおかげだ。
「みんな」でキレイにしたワケではない。
けれど、
エコにいたっては「みんな」だ。
もうここまできたら。
でも、
「みんな」でできるのだろうか?
道路を歩く。
車がバカバカ走っている。
みんなとにかく車が好きなのだ。
繁華街は心地よくなければならない。
ライトはきらびやかで空調は快適だ。
それでお客を呼んでいる。
経済があるだろう?
にぎやかでないと困るのということなのだ。
結婚して家を買って車で子供を送り迎えして。
それはもう止められない暮らしだろう?
そんな暮らしをみんな求めていたんだろう?
もちろんそれはそれで悪いとは言えない。
個人の自由というコトだ。
でもそやって、
街ではまだまだ外の温度が上がっていって、
エアコンを入れないと仕方ない。
するとまた外の温度は上がるよな。
どこで誰が歯止めをかける?
やっぱり、
20年後に街中で、
「最近の夏はマシになったねぇ」は、
どうもムリな気がしてならない。
これから、
街では夏はたまらないコトになっていきそうだなぁ。
となれば、
個人のコトに走らざるおえない。
20年くらい先は自分はどうしていようか、
と考える。
うん。
これからも自分の持ち家は持たずにいよう。
街の暮らしの様子をみながら、
いつでもサッと身軽に動けるように。
そんなことを最近思う。
そんなこんなです。