これはあくまで僕のハナシで。
他の人はどうだろう?
2006年から2008年にかけて、
個人的にネットとのかかわりが、
ちょっとまた盛り上がっていた。
それ以前にもネットは、
2000年前後あたりくらいにも盛り上がったことがあって、
その時は当時沢山立ち上がった個人サイトで、
見知らぬ人たちの日々をかいま見られたり、
その人たちとやりとりが楽しくて、
なんだかとてもワクワクした。
で、
この2006年から2008年は何だったかというと、
「ミクシィ」とか「Wikipedia」とか「YouTube」とか、
そういうネットならではの仕組みのものと、
それと「いろんな通販」とかだった。
ほんとにこの時期に、
ネットはさらに進んで機能が増えて便利になったと思う。
けど、
なんか僕の中ではその盛り上がりもピークを過ぎた。
いや、
相変わらず見たり観たり調べたり買ったり、
しているのだけれど、
ちょっとなんか違う部分で「うーむ」と思ったりしている。
人は、
やっぱり直接会った方がいい。
アレコレ解った気になっていても、
実は解っていない色んなホントのコトが、
話すと解る。
いや、「解る」と言うのは誤解されるかな。
そう、
「やっぱりあの人わからない」とか「違うなぁ」とか、
「わかってくれない」とか「ちょっとキライ」とか、
そういうことも含めて解ってくる。
で、それでいいんじゃないかと。
さらに言うと、
会ってじっくりと話をしないと、
ほんとうに「解る」か「キライ」かどうかも、
実際のところは解らない。
それから、
直接一緒にいるというのは、
その人といるその場の空気感。
これがいい。
ちいさなコトに対する反応の仕方から、
その人の考え方とかその行動の理由とか。
そんな、
そばにいてその人の動きとかを見て実際に話さないと、
わからないコトが感じられたりする。
逆にそれでもやっばり「わからないまま」のところも、
時としてあるのがまたいい。
もちろん逆に、
「あの人といると場がシンドイ」とか、
そういう人生に必ず「あるコト」を経験するのも、
必要なのだ、という意味でもイイ。
それから、
その時だけではなくて、
時間をかけて何年も、
ちゃんときっちりと長く付き合って行くというコトをしていたら、
それにつれてどんどんと変わっていく印象とか、
何年もしてからようやく分かってくることとか。
そういうのが、
たまらなく今はいい。
いくら表面的にたくさんの人と知り合っても、
そこに到達できるまでは結局時間がかかる気がする。
というか、
どわーっとタクサンと知り合っちゃうのは、
人間のペースとしてどこかムリがあるんではないかと、
最近ちょっと思う。
年をかけてちょっとずつ知り合う中から、
ちょっとずつ解りあえるようになる人が、
スローペースでちょっとづつ出来ていく、
一方でまた疎遠になっていく人がゆっくりと出来てくる。
そういうたぶんもともとの本来の姿が、
言うまでもなく、
「それでいいんじゃないか?」と、
ほんとにこのごろ思うのだ。
もちろん、
時として「自分から表に出て行って多くの人と接する」
のも自分自身を広げる意味で有意義な時もあるけれど、
でも、
「たくさんの人と知り合って」とか、
「いい人に出会わないといけない」とか「婚活」とか、
そんな風な、
人を焦らすようなキャッフレーズや世の流れは、
だいたいどうももともと好かない。
話がちょっとヨコに流れたか。
てな具合で、
ネットや通信によるコミュニケーションは、
当然、ナマの物質的な「ふれあい」や「ぬくもり」や「場の空気感」などないので、
そこがほんとに今は物足りない。
反対に、近くにいて交わるがゆえの、
「合わない感」とか「納得できない感」というのも、
やはり受け入れておくべきだ、
とそう思う。
それから、
直接の現場でのナマのやりとりは、
その時勝負だ。
「瞬時の切り返し」とか「意外な反応」とか、
そういうのがやはりオモシロイと思うのだ。
ネットのコミュニケーションばかりしていると、
そういう瞬発的なやりとりのセンスが、
養われないんじゃないかとちょっと思ったりする。
そのうち、実際のやりとりでも、
「ちょっとまって携帯でまとめてから反応送るから」
なんてやっちゃうんじゃないかと思ったりしたり。
けれど、
その場でうまく言えずに残った物足りなさは、
時間に任せばいいのだ。
いい足りなかったコト、
うまく返せなかったこと、
そういうのは長く付き合っていける相手ならば、
またどこかでゆっくり伝えていけばいい。
うーむ、
なんか当たり前のコトを書いているだけな気もする。
そのあたりを自然にフツーにしている人には、
「いや、それって、普通のコトじゃないの?」
みたいな話かもしれないなぁ。
けれど、
顔を合わせなくて済むコミュニケーションツールが、
どんどん便利にお手軽になっているこのごろだから、
ちょっと、そういうのを忘れないようにと、
自分自身に再確認するためにこれを書いた。
とにかく、最近では、
そんな感じの思いがあるので、
ネットを通じて人との輪をひろげようとは、
もう思わなくなってしまった。
「いや、そうやって知ったいろんな人と、
実際にもたくさんたくさん会ってみて、
その中からじっくりつきあえる人を探せばいいんじゃないの?」
という意見もたぶんある。
けど、
それは、
僕のアタマの中の、
どっかで何かがひっかかるのだ。
ミクシィは、
そもそも始めた時からそんなに新しい知り合いを作るつもりではなく、
単に日記をエンターテイメントして書いてしばらくタノシんでいた。
けど、
始めると、
しばらく疎遠になっていた友人とも再びまたやりとりが始まったりで、
そういうところで盛り上がっていたけれど、
そんな友人たちとも、
もう、
やっぱり直接会いたい。
やはりそれがいい。
日記ももうほとんど書かなくなったし、
今では、知り合いたちが書いている近況を見て、
「あ、元気そうだな」と思ったり、
何かの時の連絡板がわりに使うくらいだけになってしまった。
そんな感じ。
なんだけど、
1つ、ある人たちに誤解のないように書いておこう。
見ているかもしれないので。
それは、
最初にも書いたように、
2000年ごろに個人ホームページなどで知り合って盛り上がった人たち。
掲示板やメールでやりとりした人たち。
あの人たちへの思いはちょっと別だ。
その後実際に会った人。
会ったことがないけれど今でもたまにメールのくる人。
もうすっかりとやりとりが途絶えた人。
いろんな人たちがいるけれど、
あの、
今とは逆な思いで、
「顔を合わせたりしなくてもコミュケーションがとれるんだ!」
というそれまでなかった新鮮な部分で一緒にわくわくしていた人たちには、
今でも親しみを感じている。
これからはもう、
上に書いたような理由で、
あの頃みたいに、
むやみにネットで人の輪を広げることはないだろうけれど、
あの人たちのコトは、
「あのネットの一般化初期の時期に、
とても単純に純粋に、
キモチを共有できた人たち」と、
これからも思っていくと思う。
長いなぁ。
最初に書いた、
「Wikipedia」「YouTube」「いろんな通販」に関しては、
またそのうちに続きを。
シグノ ブルーブラックと共に、
そんなこんなです。