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また梅雨の間の晴れ間。
今日はとても暑かった。
で、
昼ごろに外を歩いていたら、
ひまわり。
ひまわりを見ると、
「ああ、夏だなぁぁ」と思う。
「なごむアトリエ」更新しました。
タイトルページからリンクしている、
「右手は動く絵をのこす」のコーナーに、
追加をしました。
このブログで去年の12月22日に載せた、
「ボクはホルス」をあちらにも。
2ページにすっぽりと納めたいので、
2コマ分の絵を新たに追加して。
なんだけれど、
ちょっと読みづらい。
文字は縦書きなのに、
コマの進み方は左から右なので、
そのあたり、
迷わないように読んでもらえたら。
P28の左上からヨコに読んで行って右下までいったら、
その続きはP27へと、そして同じように左上から。
というコトで、
タイトルページの、
「右手は動く絵をのこす」の絵、
もしくは文字リンクから見てみてください。
ちょっと東京に行ってきた。
以前ここでも、
アルバムを買ったことを書いたことのある、
Leyonaのライブを見てきた。
やっぱりなんでも、
「現場」がいい。
そんなこんなです。
2009年6 月25日 23:29 カテゴリー: ■[お知らせ]「なごむアトリエ」から | 個別ページ
最初に。
今回のは長いです。
時間のない人と疲れている人は、
また別の時にでも、じっくりと。
僕がまだ小さな頃、
近くに海岸があった。
(↑1940年前後の芦屋浜)
丁度高度成長期で海は汚く臭かったが、
よく堤防から砂浜に降りてはそこで遊んだ。
釣りをしたりカニを取ったり、
走ったり相撲をしたり凧をあげたり。
夕方になると、
風に乗って家の前まで漂ってくる磯の香りは、
大人になってからも僕の臭覚の記憶として残っている。
今でも磯の香りがすると妙にホッとする。
時々、無性に海が見たくなるのもそのせいだ。
小学生の2年あたりになると、
浜では大がかりな埋め立て工事が始まり、
たしか高学年の頃にはある程度の埋め立てが進み、
海ははるか南に行ってしまった。
まだ建物が何も出来ていない広大な空き地が出来て、
その向こうの新しい海岸線まで行ってみると、
真っ白な堤防のあちら側にテトラポットが並んでいた。
足もとに注意しながらその上に立つと前に水平線が見渡せた。
そして、横を向くと遙か向こうまで、
テトラポットが整然と積み上げられて並んでいた。
僕がテトラポットを近くで見たのが、
それが初めてかどうかは定かではないが、
もっと小さな子供の頃にテトラポットに乗ったり、
中に潜った事がある様な気がするので、
初めてではなかったんじゃないかと思う。
けれども、あの時の、
あの横に真っ直ぐ向こうまでテトラポットが続く光景は、
今も印象として憶えている。
その後も、
その新しく出来た海岸線のテトラポットでは、
友達と登ったり降りたりして遊んだりしたし、
受験の頃は単語帳を持って憶えに行ったし、
若者の時は日焼けクリームを塗って寝転がったりした。
前回リンクで紹介した「テトぐるみ」。
もちろん他の人が感じるのと同じ様なキモチで、
あの佇まいをカワイイと思ったけれど、
もう1つ、
僕の中にあるそんなテトラポットの記憶が、
ちょっとくすぐられた。
「そうそう、キミたちはそうやって、
積み重なって、並んでたよなぁ」と。
普段は、
一般の人たちにはそんなに気にされる事もなく、
ただただ日本の海岸線に並んで、
高波の力を消しているのだ。
思えば、
ほんとうにいとおしい。
けど、
最近つくづく思うのだけれど、
テトラポットだけではない。
ありとあらゆるものは、
カワイクいとおしい。
いろんなモノ。
そこに佇んでいるもの。
動いたり動かされているモノ。
空や山や木や川や海。
建物や機械や道具や器具。
見ていていとおしくかわいい。
それから、
モノだけでなく、
もちろん。「生きもの」も。
何せ動くのだ。
犬や猫にいたっては、
なつかれたりしたらたまらない。
いや、
なつかなくったって、
動きを見ているだけで面白く、
いとおしくかわいい。
で、
究極は、
やはり「ヒト」だなぁ、
と、
最近思う。
「ヒト」はほんとにオモシロイ。
見ていて飽きない。
ほんとにいとおしくかわいい。
いや、
だからと言って、
僕は神さまでも仏様でもお坊さんでもない。
「全てのヒトに無償の愛を」なんてことはまず出来ないし、
また「人間関係」というのは時としてわずらわしいし、
どうしても合わないヒトや近づけない人や、
残念ながら付き合いが続かない人もいるたろう。
けれど、
そういうのはこっちにおいておいて、
見ているとほんとうに、
かわいくいとおしい。
だって、
洋服着て歩いているんやで。
一生懸命何かしてるんやで。
何かを見つめて何かしてるんやで。
喋りながら眼を動かしたりしてるんやで。
突然走り出したりするんやで、
カバンっての持って色んなモノと一緒に移動してるんやで。
何もしてなくても貧乏揺すりくらいはしてるんやで。
それから、
みんなどっかかやってきてひとところに集まって、
一緒に何かしてまたどっかにそれぞれ帰るんやで。
あっちから歩いてきてクルマの横に立って、
ドアを開けたなぁと思ったら上手に運転して走ってどっかいくんやで。
じっと立ってるなー携帯見てるなーとか思ってたら、
向こうからもう一人やってきて手を挙げたなぁと思ったら、
今度は2人で笑いながら一緒の方向にいっちゃうんやで。
こどもはもちろん、
かわいくて見ていておもしろいけれど、
おにいちゃん、おねえちゃん、
おじさん、おばさん、
おじいさん、おばあさん、
大人だって見ていてオモシロイ。
一生懸命自分の仕事やスポーツをしている人とか、
リラックスしてノンビリしている人とか、
誰かを楽しませるような事をしている人とか、
誰かに楽しませて貰っている人とか、
悪いコトやアヤシイコトをしていそうな人までも、
アレコレ何かしている様を見ていると、
やっぱり、
面白くてかわいくて、
いとおしい。
ここまで読んで、
「それはお前もとちゃうんか?」と思ったアナタ。
とても正しい。
そう、僕も含めてだ。
もし仮に、
僕のコトをこっそり知っている人たちが、
アチコチに沢山いたとしよう。
その人たちの誰かが、
僕のマンションの前を通りかかって、
ふと見たら僕がベランダで洗濯物を干していたら、
「あ、あいつ、洗濯物干してるー、ふふふふ」
なんて感じできっとタノシイだろう。
車を運転して走っていて交差点でふと見ると、
僕が眠たそうなサバのような眼をして信号の前で立っていたら、
「あ、あの人、あんなところに立ってる立ってる、ふふふ」
と楽しく運転してしまうだろうと思う。
このあたりとか三宮とか大阪とか歩いていて、
僕がぼんやりヒョコヒョコと前から来るのを見かけたら、
「あ、歩いてる歩いてるー、ふふふふふふふ」
なんて感じでニコニコしてしまうと思う。
東京とか京都とかどこか遠い街とか空港なんか歩いていて、
僕がひょっこり歩いているのを見かけたら、
「あ、こんなところをキョロキョロ歩いてる歩いてる、うふうふふふ」
ときっとオモシロイだろうと思う。
もしどこかの食べもの屋の前を通りかかった時、
僕が椅子に座って「焼き肉定食」なんか食べていたら、
「あ、モグモグ食べてる、あはははは」
ときっとタノシイと思う。
もしどこかで立っていてふと向こうを見ると、
僕が向こうの道を歩いていて背の低い木の枝にアタマをぶつけたら、
「あははは、アタマぶつけたよ、帽子とばしたよ、ひゃはははははー」
ときっとタノシンデしまうだろうと思う。
もしそのひとたちが何人もいる店に、
僕がひょっこり入って行って何かしてたりすると、
「おぉぉっ、あいつがきたよー、ははははーあんなコトしてるよー」
と盛り上がっておもしろいだろうと思う。
もしそのうちの誰かが僕の部屋を向こうから覗いていて。
僕が部屋の中でいろんなことをしているのを〜、
もういいか、
キリがない。
とにかく、
そんな時の僕は、
きっとかわいいと思う。
で、
さらに、
だ。
もし神さまみたいな誰かがいて、
その人たちのさらにななめ後ろあたりから、
こっそりその人たちのコトを見ていたとしたら、
僕を見てよろこんでいる様子を見て、
「あっ、佐野を見てよろこんでるよろこんでる」と、
やっぱり、
「かわいいなぁ」と思うんじゃないかと思うのだ。
絵にすると、
こんな感じ。
そんな風に、
このヨノナカに生まれた、
ありとあらゆるものが、
そして、
特に「ヒト」が、
オモシロクて、
いとしくかわいいと思うのだけれど、
どうだろう?
そして、
そう思うと、
何があっても、
どんなヒトでも、
ちょっと親しみが湧く気がしたら、
少しはラクなキモチになれると思うのだけど、
どうだろう?
またまた、
signo ブルーブラックと共に。
そんなこんなです。
2009年6 月19日 15:12 カテゴリー: ■ [文章]いろんなコトにアレコレ想う | 個別ページ
これはあくまで僕のハナシで。
他の人はどうだろう?
2006年から2008年にかけて、
個人的にネットとのかかわりが、
ちょっとまた盛り上がっていた。
それ以前にもネットは、
2000年前後あたりくらいにも盛り上がったことがあって、
その時は当時沢山立ち上がった個人サイトで、
見知らぬ人たちの日々をかいま見られたり、
その人たちとやりとりが楽しくて、
なんだかとてもワクワクした。
で、
この2006年から2008年は何だったかというと、
「ミクシィ」とか「Wikipedia」とか「YouTube」とか、
そういうネットならではの仕組みのものと、
それと「いろんな通販」とかだった。
ほんとにこの時期に、
ネットはさらに進んで機能が増えて便利になったと思う。
けど、
なんか僕の中ではその盛り上がりもピークを過ぎた。
いや、
相変わらず見たり観たり調べたり買ったり、
しているのだけれど、
ちょっとなんか違う部分で「うーむ」と思ったりしている。
人は、
やっぱり直接会った方がいい。
アレコレ解った気になっていても、
実は解っていない色んなホントのコトが、
話すと解る。
いや、「解る」と言うのは誤解されるかな。
そう、
「やっぱりあの人わからない」とか「違うなぁ」とか、
「わかってくれない」とか「ちょっとキライ」とか、
そういうことも含めて解ってくる。
で、それでいいんじゃないかと。
さらに言うと、
会ってじっくりと話をしないと、
ほんとうに「解る」か「キライ」かどうかも、
実際のところは解らない。
それから、
直接一緒にいるというのは、
その人といるその場の空気感。
これがいい。
ちいさなコトに対する反応の仕方から、
その人の考え方とかその行動の理由とか。
そんな、
そばにいてその人の動きとかを見て実際に話さないと、
わからないコトが感じられたりする。
逆にそれでもやっばり「わからないまま」のところも、
時としてあるのがまたいい。
もちろん逆に、
「あの人といると場がシンドイ」とか、
そういう人生に必ず「あるコト」を経験するのも、
必要なのだ、という意味でもイイ。
それから、
その時だけではなくて、
時間をかけて何年も、
ちゃんときっちりと長く付き合って行くというコトをしていたら、
それにつれてどんどんと変わっていく印象とか、
何年もしてからようやく分かってくることとか。
そういうのが、
たまらなく今はいい。
いくら表面的にたくさんの人と知り合っても、
そこに到達できるまでは結局時間がかかる気がする。
というか、
どわーっとタクサンと知り合っちゃうのは、
人間のペースとしてどこかムリがあるんではないかと、
最近ちょっと思う。
年をかけてちょっとずつ知り合う中から、
ちょっとずつ解りあえるようになる人が、
スローペースでちょっとづつ出来ていく、
一方でまた疎遠になっていく人がゆっくりと出来てくる。
そういうたぶんもともとの本来の姿が、
言うまでもなく、
「それでいいんじゃないか?」と、
ほんとにこのごろ思うのだ。
もちろん、
時として「自分から表に出て行って多くの人と接する」
のも自分自身を広げる意味で有意義な時もあるけれど、
でも、
「たくさんの人と知り合って」とか、
「いい人に出会わないといけない」とか「婚活」とか、
そんな風な、
人を焦らすようなキャッフレーズや世の流れは、
だいたいどうももともと好かない。
話がちょっとヨコに流れたか。
てな具合で、
ネットや通信によるコミュニケーションは、
当然、ナマの物質的な「ふれあい」や「ぬくもり」や「場の空気感」などないので、
そこがほんとに今は物足りない。
反対に、近くにいて交わるがゆえの、
「合わない感」とか「納得できない感」というのも、
やはり受け入れておくべきだ、
とそう思う。
それから、
直接の現場でのナマのやりとりは、
その時勝負だ。
「瞬時の切り返し」とか「意外な反応」とか、
そういうのがやはりオモシロイと思うのだ。
ネットのコミュニケーションばかりしていると、
そういう瞬発的なやりとりのセンスが、
養われないんじゃないかとちょっと思ったりする。
そのうち、実際のやりとりでも、
「ちょっとまって携帯でまとめてから反応送るから」
なんてやっちゃうんじゃないかと思ったりしたり。
けれど、
その場でうまく言えずに残った物足りなさは、
時間に任せばいいのだ。
いい足りなかったコト、
うまく返せなかったこと、
そういうのは長く付き合っていける相手ならば、
またどこかでゆっくり伝えていけばいい。
うーむ、
なんか当たり前のコトを書いているだけな気もする。
そのあたりを自然にフツーにしている人には、
「いや、それって、普通のコトじゃないの?」
みたいな話かもしれないなぁ。
けれど、
顔を合わせなくて済むコミュニケーションツールが、
どんどん便利にお手軽になっているこのごろだから、
ちょっと、そういうのを忘れないようにと、
自分自身に再確認するためにこれを書いた。
とにかく、最近では、
そんな感じの思いがあるので、
ネットを通じて人との輪をひろげようとは、
もう思わなくなってしまった。
「いや、そうやって知ったいろんな人と、
実際にもたくさんたくさん会ってみて、
その中からじっくりつきあえる人を探せばいいんじゃないの?」
という意見もたぶんある。
けど、
それは、
僕のアタマの中の、
どっかで何かがひっかかるのだ。
ミクシィは、
そもそも始めた時からそんなに新しい知り合いを作るつもりではなく、
単に日記をエンターテイメントして書いてしばらくタノシんでいた。
けど、
始めると、
しばらく疎遠になっていた友人とも再びまたやりとりが始まったりで、
そういうところで盛り上がっていたけれど、
そんな友人たちとも、
もう、
やっぱり直接会いたい。
やはりそれがいい。
日記ももうほとんど書かなくなったし、
今では、知り合いたちが書いている近況を見て、
「あ、元気そうだな」と思ったり、
何かの時の連絡板がわりに使うくらいだけになってしまった。
そんな感じ。
なんだけど、
1つ、ある人たちに誤解のないように書いておこう。
見ているかもしれないので。
それは、
最初にも書いたように、
2000年ごろに個人ホームページなどで知り合って盛り上がった人たち。
掲示板やメールでやりとりした人たち。
あの人たちへの思いはちょっと別だ。
その後実際に会った人。
会ったことがないけれど今でもたまにメールのくる人。
もうすっかりとやりとりが途絶えた人。
いろんな人たちがいるけれど、
あの、
今とは逆な思いで、
「顔を合わせたりしなくてもコミュケーションがとれるんだ!」
というそれまでなかった新鮮な部分で一緒にわくわくしていた人たちには、
今でも親しみを感じている。
これからはもう、
上に書いたような理由で、
あの頃みたいに、
むやみにネットで人の輪を広げることはないだろうけれど、
あの人たちのコトは、
「あのネットの一般化初期の時期に、
とても単純に純粋に、
キモチを共有できた人たち」と、
これからも思っていくと思う。
長いなぁ。
最初に書いた、
「Wikipedia」「YouTube」「いろんな通販」に関しては、
またそのうちに続きを。
シグノ ブルーブラックと共に、
そんなこんなです。
2009年6 月17日 18:20 カテゴリー: ■ [文章]いろんなコトにアレコレ想う | 個別ページ
|梅雨だにゃ。/
と、9日に梅雨入りしたけれど、
ここ3日ほどは雨ではなく。
ここぞとばかりに、
長袖モノ・春モノなどを徹底的に洗濯。
「続きを書きます」と書いた、
「テトラポットといとおしい」の話。
またまた先送り。
その前にこちらを先に。
イラストを描いている雑誌、
「スーパークロスワード」誌、「ナンクロメイトDX」誌、
12日に発売されました。
全国の書店やコンビニなどでどうぞ。
(C)マガジン・マガジン
ので、
「なごむアトリエ」更新しました。
今号に描いたイラストの紹介ページを。
●「なごむプレゼンテーション」
・「スーパークロスワード」誌のイラスト
・「ナンクロメイト」誌のイラスト
「人」のそれぞれの歴史とかかかわりとか出会いとか、
そういうはオモシロイ。
こういうのをよく考える。
ここ最近知り合った人がいるとする。
で、話をしていて、
A「あのころよくあの街をうろうろしてあの店によく行ったよ」
B「あ、そうなんや、僕もそのころあの街をよくうろうろしてあの店にも何度か行った」
と話をしたとする。
ということは、
もしかしたら、
その頃、AさんとBさんはすれ違っていたかもしれない。
また、もしかしたらそのお店でとなり同士に座ったかもしれない。
けれど、その時は見知らぬ人同士だ。
顔をみてもどうとも思わない。
(どちらかがどうか思ったら逆にかなりアヤシイ)
また、
そのことすらも憶えてはいなし、
何とも思ってはいない。
それが今は知り合いになって、
お互いがお互いを知り合いと認識していて、
仲良くしていたりする。
もし神さまがいて、
上の方からずっと何年も見ていたとしたら、
オモシロイだろうなぁ、と。
同じ場所にいた二人が、
その後、いろいろとあちこち行って、
あれこれした末に、
どこかで一緒になって知り合いになったりしてる。
「おー、あの店でたまたま隣同士に座ったあの二人が、
何年かして仲良くなってるなー。
おもろいなー。だから人間観察はタノシイや」
なんて、
ニコニコ見ているんだろうなぁ。
と、
そんなことを思ったりする。
そんなこんなです。
2009年6 月13日 20:36 カテゴリー: ■[お知らせ]「なごむアトリエ」から | 個別ページ
一週間ぶりの更新になってしまった。
ちょっと体調イマイチ。
だるくて眠い。
去年のブログにも書いたけれど、
毎年、
この季節は弱いようだ。
前回の記事で、
「続きを書きます」と書いた、
「テトラポットといとおしい」の話。
実は途中まで書いているのだけれど、
まだ終わっていないので、
次にでも。
結構力作。
オタノシミに。
9日に梅雨入り。
昨日は一日シトシトと雨。
今日は午後から、
晴れたりしている。
6月2日の記事にも書いたけれど、
1日に右手の親指と人差し指をやけどした。
とにかく水ぶくれをやぶらないようにと、
大事に大事に育てて(?)、
ようやくしぼみ初め、
順調に治りはじめたよう。
頑張って、
世話しました。
で、
そもそもどうしてやけどしたか?
あんまり書きたくないけれど、
書かないと話が次に行かないので、
書くと。
コーヒーを飲もうと思って、
やかんの乗っているコンロの火をつけた。
でも、
湧く音がしないのでフタをあけて見ると、
ほぼ空だきになっていた。
つまり水が入っていないのに火をつけた。
「あ、まずい、またやった」と思って、
やかんの取っ手をもって水道の水を入れた瞬間、
その水が熱せられたやかんの底で瞬時に蒸気となって、
ブシーッと勢いよく舞い上がり、
取っ手を持っていた手にあたった。
アチチチチ。
と、
そういう
ワケ。
僕はこの調子でよく空だき未遂をよくする。
このパターンだけではなく、
ちゃんと水が入っているやかんを、
そのままにしたりするというパターンもする。
何か作業をしていて、
「コーヒー飲もう」と思って、
やかんに水を入れてコンロにかけて、
そのまままた作業をし始めて、
すっかりそのコトを忘れて、
はっ、と気付けば「ほぼ空だき」だったりする。
ピーピーケトルを使っていても、
ケトル部分をちゃんとセットせずに火にかけたるするので、
手に負えない。
そのせいで、
僕に使われるやかんはすぐにヨレヨレになってしまう。
同じ工場で同じ時期で生まれたやかんなのに、
ヒトによっては10年たってもキレイに使われたりすると思うと、
僕に使われるやかんはフビンでしかたない。
ごめんよ。
なんて笑いゴトを言っている場合じゃない。
やけどまでしちゃったから、
ちょっと考えないとなー、
と思っていた。
で、
そんな話を、
近年仲良くしている「クモチの女性(ひと)」に話したら、
「ティファールのケトルいいよ。すぐに沸くし。私も買った」
と。
ので、
さっそく調べて、
いろんな種類があるけれど、
僕が置きたい場所に唯一収まる、
細身のステンレスのものを購入。
キッチンの隅っこで、
活躍し始めた。
で、
後ろっかわの透明の出っ張りを下に下げれば、
オレンジの明かりがついて、
湯沸かし開始。
で、
沸騰するとその出っ張りが上にもどって、
湯沸かしが終わる。
うーむ、
これなら空だきとやけどの心配はない。
スイッチ入れてまた何かに夢中になって、
放っておいても心配ない。
しかも、
コーヒー1杯分くらいならば、
ほんとにすぐに沸く。
保温はできないけれど、
まぁそんなに苦ではないだろう。
「かわいそうなやかん」たちを増やさずにすみそうだ。
そんなこんなです。
2009年6 月11日 19:35 カテゴリー: ■ [緩緩] なんてことはない日々 | 個別ページ
ベランダでしゃがんで煙草を吸っていた。
ふと、
ナナメ下に置いているバケツを見たら、
取っ手の部分の細いところを、
一匹のてんとう虫が這っている。
見ていると取っ手の真ん中についている、
プラスティックの穴の部分に向かっている。
「あっ、入ってしまう前に、写真写真」と思って、
部屋に入ってカメラを持って再びバケツの前に。
しかし、
僕がカメラを構えてシャッターを押す前に、
ススッと中に入ってしまった。
ヨコから見てみると、
真ん中あたりか、
黒い影が見えている。
よし、向こうから出てくるな。
それを写そう。
そう思って反対側を狙ってカメラを構えた。
まだかまだか?
いや、てんとう虫の足だから、
意外と時間がかかるのだ。
ここは辛抱。
さあさあ。
出てこい。
出てこない。
どうした?
早く出てこい。
出てこない。
待っても待っても、
出てこない。
こらっ、
寝てるんかー?
仕方がないので、
あきらめた。
ちっともてんとう虫の写真の出てこない、
てんとう虫の話でした。
「なごむアトリエ」更新しました。
タイトルページからリンクしている、
「右手は動く絵をのこす」のコーナー、
26ページ目、追加しました。
タイトルページの、
「右手は動く絵をのこす」の絵、
もしくは文字リンクから見てみてください。
実は、今日は、
もう1つ話を書く予定だった。
それは、テトラポットの話。
こんなサイトを知り合いのリンクから見つけた。
「テトぐるみ」
なんだか、
かわいい。
というか、
いとおしい。
ついでにこのリンク先に沢山載っている、
実際のテトラポットを見ても、
なんだかいとおしい。
いや、テトラポットだけではない。
上のてんとう虫だってそうなのだけれど、
最近、ありとあらゆるモノが、
見ていていとおしく思える。
モノだけではない。
「ヒト」もだ。
にいちゃん、ねえちゃん、
おっちゃん、おばちゃん。
いろんなことしているヒトたち。
その全てが、
なんか見ていていとおしく、かわいい。
あ、
結局いっぱい書いてしまった。
でもこれが全てではないので、
続きはまた次回。
もし可能ならば明日にでも。
ムリならばあさってにでも。
そんなこんなです。
2009年6 月 4日 23:09 カテゴリー: ■[お知らせ]「なごむアトリエ」から | 個別ページ
2年前に、
ベランダに置くために、
オリーブの木を買った。
ところが、
この冬の終わりくらいから、
葉の色が悪くなり、
そのうちに葉がポロポロと落ちだして、
「あー、ダメにしちゃったかー」と思っていた。
が、
一週間前から、
新しい芽がドコドコと出始めた。
たぶん、
冬の管理が悪かったのだと思うけれど、
とにかく新しい芽が出てきてヨカッタ。
結果的にリフレッシュさせたことになる。
植物も人間も、
リフレッシュが必要だ。
なんてコトを言ったら、
「だれのせいでリフレッシュしたと思ってるねん」
とオリーブに叱られるか。
僕を知っている人にはよく知られている事だけど、
三宮から北にズンズンと歩いたところに。
僕のよく行くお店がある。
知っているよね?
(ダレに言ってるんや?)
そのお店で以前酔っぱらって、
ボトルのラベルに絵を描いた。
この間、友人との話をきっかけに、
昔描いた絵を見て、
「うーむ、いいじゃないか」と思ったりしたものだから、
やはり自分の描いたものは、
手元でいつでも見れるようにしておくべきだと、
写真に押さえてきた。
(本当はあと数点ある)
ので、ちょっとここにも載せておこう。
今日は暑かった。
まぁ、なんやかや言っても、
もう6月だしねぇ。
そんなこんなもあってか、
なんだかだるい。
おまけに昨日、
やけどした。
水ぶくれになった。
右手なので、
かなり不自由。
そんなこんなです。
2009年6 月 2日 23:24 カテゴリー: ■ [緩緩] なんてことはない日々 | 個別ページ