よくラジオなどを聴いていると、
曲が終わる寸前に音が小さくなりつつ、
それにかぶさるように次の曲がだんだんと大きくなって入ってきて、
つながって流れたりする。
これを「クロスフェード」という。
今ではパソコンがあれば、
同じ様なコトが比較的簡単にできるようになったけれど、
昔はプロのワザだった。
ちゃんとそれをするには、
「クロスフェーダー」という機材、
もしくはそれがついた「ミキサー」などの機材が必要だった。
もうずいぶんと以前、
よく好きな曲を集めたオリジナルテープを作っては、
自分で聴いたり友人にあげたりしていた頃、
この「クロスフェード」に憧れていた。
「1つの曲が終わって隙間なくバンっと次の曲が始まる」
というワザはやろうと思えばできなくない。
曲が終わってすぐテープレコーダーをポーズで停止しておいて、
次の曲が始まる寸前に解除してやればよかった。
問題はどのタイミングでポーズを解除するかで、
テープダビングの場合はカウンターの数字を目安に、
レコードからの録音の場合はレコード盤のレーベルの模様などが、
どこにきたら曲が始まるか、を目安にすめば、
何度か失敗しても最終的には出来なくなかった。
けれど、
「クロスフェード」は機材がなければどうしようもなかったので、
「クロスフェーダーがあればなぁ」なんて、
よく思っていたもんだ。
今からもう18年くらい前のコト、
当時働いていた会社に新しい社員が入ってきた。
その会社では、来客時以外は、
自分たちの好きな音楽をかけていてもよかったので、
みんな各々、テープやらCDやらをかけていた。
である日、その新しく入った社員が、
自分でオリジナル編集してきたテープをかけたのだけれど、
それを聴いて、「おっ」と思った。
曲間が「クロスフェード」していたのだ。
聴くと「フェーダー」を持っているという。
個人で「フェーダー」を持っているヤツはそうそういないぞぉ。
「こいつ、なかなかやるな」と思った。
その彼とは、今でも交友が続いている。
ここでも何度か書いた、
今東京にいるMちゃんがそうである。
さて、長くなったけれど、
実は、ここまでは「前置き」なのである。
先日から続けて4人の日本人が、
「ノーベル賞」を受賞した。
南部先生、小林先生、益川先生、下村先生。
「久々に明るいニュース」と言われているし、
たしかにそうだと思うけれど、
僕はちょっと違う角度から見て、
「今この時期に今回のコレがあるのってイイなぁ」と思った。
神さまがいて、それをしているのだとしたら、
結構その神さまは「企画マン」だなぁと思う。
なんて図ったようなタイミングなんだろう。
数年前から、
「セレブ」だとか「勝ち組・負け組」だとか「格差社会」だとか、
お金を基準にしたヨノナカになっていた。
それらは、
「無ければそれを苦にしてしまう」という裏返しも含めて、
お金があったもの勝ちみたいな感じになっていた。
もちろんお金は大事だけれど、
どちらかというとマネーゲームみたいな印象だった。
それが、ここんところ、
「株価暴落」である。
「金融危機」である。
このまま続けば、
株券なんて紙切れ同然になるかもしれない。
人の不幸をヨロコブ気はさらさらさらさらないけれど、
「お金が絶対」のヨノナカはやっぱりオカシイと思う。
そんな風に「お金」に関することが急にカクッとくずれたこの時期に、
「長くコツコツと地道に1つのコトを続けてきた」人たちが、
ドカッとまとめてノーベル賞を受けて評価をされて、
注目を集めたのだ。
タイミングとしてはとても意味があると思う。
みんなが好景気でもなく、みんながそろってどん底でもなく、
お金持っている人が「えっ!?」となっているときに、
「長くコツコツと地道」な行為に大きなご褒美が出たのだ。
なんて図ったようなタイミングなんだろう。
いいなぁ、
今回の神さまの企画。
いいと思う。
でも、
だからと言って、
明日っからすべてが「長くコツコツと地道」で全てがオッケーになるほど、
ヨノナカは単純ではないし、長くコツコツというのはそういうものでもない。
また、かといって、あまりに経済が落下すれば多くの人が困ることにもなる。
それでも、
このタイミングでの今回の4人のノーベル賞のお知らせは、
「もともとお金はないけれど自分を信じてコツコツやっている人」たちには、
ある種の「やっぱりタイヘンでも、こっちの道もある」
みたいな感じを与えているんじゃないかなぁと思う。
僕は、
ふと空を見上げて、
「アナタ、なかなかやるなぁ」
と、つぶやいた。
ほんとに、
いいクロスフェードだと思う。
そんなこんなです。