勝手にお話(その1)
「たていし君」
たていし君は、
産まれてこのかた、
くしゃみをしたことが無かった。
はじめはそれに誰も気づかず、
本人さえ気にもとめていなかった。
10才の春、
たていし君が母親のくしゃみに、
「僕そういうのしたことない」
と言って初めてみんな気がついたのだった。
とたんに、
両親も心配をして、
医者に診せたり、薬を探したりしたけれど、
くしゃみをとめる治療や薬はあっても、
たていし君にくしゃみを出させる方法はわからなかった。
鼻の穴にコヨリをそっといれて、
ムズムズとしてみても、
いっこうに効果はなかった。
寒い場所で薄着をさせても、
くしゃみは出なかった。
医者は「別にどこも悪いところはないのだし、気にしなくていいのでは」と、
両親を安心させた。
やがて、たていし君は青年になり、
ある女性と知り合い、
恋をした。
その彼女は「くしゃみをしないなんて、私花粉症だからうらやましいなぁ」と言った。
二人は7年つきあって、8年目の春に結婚した。
10年目に子どもが出来て、13年目に2人目が出来た。
子どもたちはどんどんと大きくなって、
やがてそれぞれ恋をして、それぞれ結婚した。
さらに何年かして、孫が出来、
そこからまた長い年月を経て、ひ孫も出来て、
そのひ孫の「みのるくん」が4才になった秋、
たていし君は82才でこの世を去った。
奥さんはたいそう悲しんだ。
家族も友人も、みんな心から悲しんだ。
たていし君は、ほんとうにいい人だったのだ。
通夜が終わって、
家族だけになったとき、
孫の一人がたていし君の奥さんに聴いた。
「おばあちゃんにとっておじいちゃんって、
ほんとにいやなところが無かった人なの?」
奥さんはしんみりとしながら、
「そうね、おじいさんは、私には、
すべていいとこだらけの人だったわねぇ」そう言った。
そう言ったあと、
思い出したようにこう言った。
「あ、そうそう、これは誰にも言ったことがないんだけど、
おじいさん、くしゃみを一度もしたことなかったでしょ?
実は、あれだけ、ちょっと気味悪かったのよ。ほほほ」
棺桶の中で、
小さく、
「はくしょん」という音がした。
けれど、家族はそれには気づかなかった。
ただ一人、棺桶の近くで遊んでいた、
ひ孫の4才の「みのるくん」だけが、
それを聴いた。
その「みのるくん」は、
まだ一度もくしゃみをしたことがない。
(おしまい)
※この話はハクションです。
あ、いやいや、
フィクションです。