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「クロスワード mini」誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、
「お調子者のイルカくん」
↓
編集部からのお題は、
「おはようございます! あなたの"朝の定番"は?」
↓
編集部からのお題は、
「パッと名前が浮かぶ有名人 ○○といえばこの人!」
↓
編集部からのお題は、
「記号でしっかり憶えよう 身の回りにある元素」
↓
編集部からのお題は、
「イマドキの恋愛の悩み… 告白はメールで!?」
↓
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
前の記事で、
この写真を載せた。
↓
芦屋の浜手にあった昔住んでいた家の前の道路を挟んで東側に、
もともとは大きなお屋敷で、
その後川崎製鉄のテニスコートになった広い敷地があったのだけれど、
その外周に沿って内側に、
「昔の芦屋浜の松林の名残り」と思われる松が沢山あって、
家から外に出ると必ず正面に見える松の並んだ姿に、
僕は知らず知らず癒やされていたんだなぁ、
という、話の、
その証拠としてこの写真を載せた。
こんな松があったんだよと。
けれど、
これはその敷地内の写真には違いないが、
写真の少年の向かって左に見える松は、
敷地からみれば北側の辺にあたり、
家から見た正面のもの(敷地から見れば西側のもの)ではない。
で、
きっとその位置の松の写真もあると思うから、
また見つかったから載せよう、
と、前回書いた。
探してみると、
すぐに見つかった。
だからさっそく載せよう。
正面にあった松の並びは、こんな感じ。
↓
これは家の2階から写した写真。
右の方に昔のスバルが停まっている。
1970年頃の写真で、当時はまだ白黒フィルムも使っていたけれど、
そろそろ時々、カラーフィルムも使い出した、
そんな時代だ。
(昔の写真なのに色味がクリアなのはちゃんと色補正をしたから)
そう、この松。
ずっと家の正面に並んでいた松。
台風の時は、
この松が「ザーーザーーー」と大きく揺れるのを、
家の中から見ていたりした。
ここにとまったハトがトゥートウッと鳴き、
夏はここにとまったセミが鳴いた。
他の人が見たら「単に松ですやん」なのかもしれないが、
僕には「子供時代の日々」のセットの中に必ず含まれている、
心がちょっと安心する情景だ。
この松は今はもう無くなっている。
阪神淡路大震災の後のすぐくらいに道路の拡張工事が始まって、
昔は行き止まりだった旧堤防(写真の右手方向)を坂で通し、
今は芦屋市の中央を南北に貫く大きな道路に変わっている。
その折りに、
この松も切り倒された。
工事が始まる数年前、
市と工事関係者と「やや、反対」の市民との話し合いがあって、
心ある人たちが「あの松を残せないか?」と提案した。
そして住民の年配の1人が、
「あんな立派な松をタクサン切ったりしたら、バチがアタリます」
と言うと、
市か工事関係者かどちらなのかははっきり知らないが、
「フフンッ」と鼻でせせら笑った人がいたという。
母はその人の態度を見て無性にハラが立ったらしい。
「日本昔ばなし」のように直接的によくわかる形で、
バチがあたるかどうかは知らないが、
やっばり、
「そういう反応は良くないんじゃないかなぁ、
その鼻で笑った人は今どうしているのかなぁ」
と、ちょっと意地悪い妄想をしたあとに、
あ、ダメダメやめておこう、人を呪わば穴2つ、
なんて思ってあの今は無い松の景色を思い出して、
ほっこりしたりしたりするのだ。
そんなこんなです。
2014年8 月29日 19:28 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
もー夏も終わりやねぇ。
今年はなんか、
空がどよんと曇っている日が多くて、
湿気がなぁんか多くて、
しんどかったぁー。
そっちは、どない?
よー言われてるけど、
昔の夏はもぉちょっとその、
今に比べたら過ごしやすかったって、
ゆうやん?
僕なんかでもそんな気はするねんけどな。
車が少ないとか、
木々が多かったとか、
それはあるやろなぁ。
僕が子供の頃に住んどったとこでも、
前に松の木が並んでて、
車もあまり入ってこなかったとこやし、
夏でもお盆が過ぎた夕方は、
涼しかった気がするなぁー。
けど、
こういうコトを言うと一方で、
「データによるとあれはこうでそれはこうで、
さほどもともとの暑さに違いはない」
とか、どっかでいろんなこと言う人おるやん?
いやもぁ、暑さだけにかかわらず、
いろんなことでも。
どうなんやろな?
実際のところ。
「そう言うからそんな気になっていく」
ようなコトもあるけど、
「全体みんなが体で感じているコトの方が正解」、
ってこともあるしな。
でも、
どう考えても、
暑いやんな?
なぁ?
あ、そうそう、
さっき、
子供の頃の家の前の松のコトに触れたけど、
この間もこのブログで、それ書いたやん?
憶えてる?
昔住んでいた家の前に立派な松が並んでいて、
それはたぶん昔の松林の名残で、
僕はそれで心が落ち着かされていたんやろな、
みたいなこと、書いたやん?
そのな、
松の写っている昔の写真を、
ここに載せとこ思って。
あやって言葉で書いてても、
ほら、僕の文章ってちょっと、
「物語っぽく」しちゃうところがあるやん?
さらに、僕自身がちょっとフワッとしたところがあるやん?
そやから、きっとな、
「ほんまですかねー、松とか並んでたんですかねぇー、ほんとですかぬぇー」
なんてヒネクレもんがおるかもしれへんやん?
またさらに、
かつて僕のところに来て見ているくせに、
「そんなに一杯松ありましたかー? 無かった気がしますけどねぇー、本当ですかぬぇー」
と、「単に自分がしっかり見てへんだけ」やのに思ったりする、
イジケもんもおるかもしれへんやん?
おらへんかもしれへんけど、
おるかもしれへんやん?
そやから、ここに載せとこー思うねん。
え、性格悪い?
あははははは。
ほな、
いくで。
ほら。
ウチの家の前の、
もともと大きなお屋敷やってんけど、
周囲の道路に面した部分の土地の内側に、
昔の松林の名残と思われる松が残っていて、
その後テニスコートになったっていう、
その敷地内で写したもの。
けど、
家を出たところからの方向の写真もほしいなぁ。
この写真でいうと、
子供から見てこれを写したカメラの方向に、
道路があって僕の家があって。
この敷地内のそちらに面した辺にも松が並んでいた。
そこからの写真もどっかあったと思うので、
また載せるわ。
そやないと、
「こんなんじゃわかりませんよねー。ほんとですかぬぇー」
と思うヒネクレもんもおるかもしれへんやん?
さぁ、
ほなこのくらい。
ちょっと今忙しいねん。
そっちの仕事に戻るなぁ。
これ書いているからっていって、
別にヒマやないねんで。
最近はできるだけブログを書くというノルマを課して、
それを実行してるだけやねんで。
で、
「もしかしてこういう関西弁の話し言葉による書き方にしたら、
文章打ちが速いのでは!」
と思ってな、
少しでも速くブログの更新をしたくてな、
ちょっと思いついて、
ほんでこんな話し言葉のノリでやってみてるって訳やねん。
うん、
実際、速い速い。
ということで、
じゃ、
夏の終わりといっても実際はまだまだ暑いと思うけど、
その残りの夏っぽさを楽しんで。
ほんなら。
また。
神戸"やんねん"ペロペロトーク、
サノハジメでした。
BGM:
「SMILING」センチメンタル・シティ・ロマンス
そんなこんなです。
2014年8 月27日 10:55 カテゴリー: ■ [緩緩] なんてことはない日々 | 個別ページ
前回の記事で、
村上春樹さんの小説と芦屋についてちょっと書いたので、
今日もその流れで。
その春樹さんのデビュー小説の「風の歌を聴け」は、
映画にもなっている。
もともと原作の小説では地名は全く出てこないのだけれど、
舞台となる街は昔の芦屋や神戸の街がモデルだし、
加えて、
映画版監督の大森一樹さんが同じ芦屋出身でもあるからだろう、
映画にはロケ地として実際の芦屋や神戸が多く使われている。
前の記事では、
「小説に知っている場所が出てくると嬉しい」と書いたけれど、
映画も、馴染み深い知っている場所が映っていると、
やっばり同じように嬉しい。
で、その映画版「風の歌を聴け」。
原作では「ホテルのプール」とされているシーンに、
「芦屋市民ブール」(現在の朝日ヶ丘公園プール)が、
ロケ地に使われていた。
8月16日の記事にも書いたように、
芦屋の浜手で暮らした子ども時代の夏、
大人同伴が必要なチビッコの頃には、
近所の神戸銀行のプールなどに行っていた。
けれど、
小学校も4年生くらいになってくるともう、
学校の友達とだけで泳ぎに行きたくなる。
で、学校のプール以外で、
友達と子供だけで行った初めてのプールが、
おそらく、
「芦屋市民プール」だ。
「市民」と名のつく公営のプールなら、
母親もなんとなく印象で安心して、
行かせてくれたんじゃないかと思う。
芦屋市民ブールは山の手にあって、
最初の頃は歩いて行ってたように思う。
坂道をどんどん上っていくので、
今ではとてもじゃないが、
あの夏の盛りに、
あんな場所まで歩く気にはなれないけれど、
そこは子ども、
友達とわーわー遊びながら行けば、
"へっちゃらけー"だったのだろう。
その、
市民ブールの中での記憶として良く憶えているのが、
スナック菓子の「カール」。
売店で「カール」(僕はおそらくカレー味)と、
何かジュース(きっと「ファンタ」だとか「チェリオ」だとか)を買って、
プールサイドのコンクリートの上にタオルを広げ、
その上に寝っ転がって友達と並んで
ムシャムシャと「カール」を食べていたのを、
どういうわけかとても印象的に憶えている。
おそらくかなり「おいしウレシ」かったんだろう。
キラキラとした熱い日差しと、
体からしたたった水でおこるコンクリートの匂いと、
水に入りすぎた後になる目の前が少し白くかすんだ感覚と、
カールの口に入った時のパサパサ感。
今でもその時の感じをはっきり思い出せる。
そして、
次に強い記憶として憶えているのが、
泳ぎ終えて市民プールから出たあとに食べた、
「おでん」。
今でもあるのかどうか知らないが、
市民プールの入り口の正面に、
テーブルも備えた飲食もできる小さな売店があって、
そこで「おでん」が売っていたのだ。
大人と一緒にプールに行くと、時折り、
「ちょっと水からあがって休憩しなさい」と言われるところを、
子どもだけだと、とことんプールに入りまくって、
気が付けば唇がちょっと紫になって体も冷えて。
そこへ口にする熱いおでんはとにかく最高に美味しかった。
「真夏の暑い中でも熱いおでんがこんなに美味しいんだー」、
ということを始めて知った経験でもあった。
今ならば、絶対に、
ビールを注文している。
やがて、少し大きくなると、夏のブールは、
友達と自転車で行く甲子園の「阪神パーク」に代わり、
さらにもう少し大きくなると、
「新しい時代のプール」といった感じの、
巨大な滑り台と波のおこるプールを備えた、
深江浜の「新神戸大プール」に行くようになり、
あまりにも普通の「市民プール」には行かなくなってしまう。
けれど、
20才を少し超えた頃に一度だけ、
その「芦屋市民プール」に行った憶えがある。
今となっては、
誰と何のために行ったのかさっぱり忘れてしまったし、
どう過ごしたのかもほとんど憶えていない。
ただ、1つだけ印象的に憶えていることがある。
プールサイドの僕が寝っ転がって日光浴をしている近くに、
カラフルな水着を着た若い女性が2人うつぶせで並んで寝ていた。
おそらく、年齢は僕よりも少し上くらい。
2人は1つのウォークマン(もしくはウオークマンもどきのプレーヤー)
から出ている1つのイアホンを、
左右1つずつを仲良く分けてそれぞれ片耳にさしていた。
そして2人は、
そのテープレコーダーで再生されている曲にあわせて、
(もちろんそれを確認したわけではないのだけれど、
おそらくきっと十中八九流れている曲と同じ歌を)
一緒に歌っていた。
それは、「ムーンライト・サーファー」という曲。
もともとは70年代の終わりに石川セリが歌っていた曲で、
けれど、もう80年を数年超えていたし、場所も関西だし、
彼女たちがテープで聴いていたのは、
おそらくその頃に出ていた、
桑名晴子のバージョンではないかと勝手に思う。
僕は夏の日差しを浴びてねっころがり、
何気ないふりをしながらもちょっとそちらを気にしつつ。
されど聞き耳など立てなくても自然に耳に入ってくる、
女性2人の小さな歌い声と、
たまにおこる嬉しそうな笑い声。
♪ Surfer in the moonlight moonlight moonlight
Surfer in the moonlight moonlight moonlight
Surfer in the moonlight moonlight moonlight surfer ♪
とても心地良かったのをよく憶えている。
そんなこんなです。
2014年8 月24日 10:14 カテゴリー: ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
「スーパークロスワード」誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、
「意外なお宝か? ガラクタか? 骨董品」
↓
編集部からのお題は、
「たそがれ時に ひとり佇んで…」
↓
編集部からのお題は、
「最近めっきり 涙もろいんです…」
↓
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
小説の中に、
自分の知っている場所が出ていると、
読んでいてちょっと嬉しい。
たとえば2年ほど前に読んだ谷崎潤一郎さんの「細雪」。
これは昔の小説にしては読みやすくて、
文章や描写の巧みささでどんどん引き込まれる魅力もあるが、
それに加えて、個人的には、
「阪急芦屋川駅」とか「田中町」とか「夙川」とか「鯉川筋」とか、
親しみのある芦屋や神戸や阪神間の地名や場所が出てくるのが、
昭和初期のものであるとしても、なんだか嬉しい。
そして、最近読んでいる村上春樹さんの小説。
もともと若い頃に幾つか読んだことがあるのだけれど、
知り合いが読み始めたのをきっかけにこのところ、
読んだことのあるものないものも含めて、
短編集を中心に順番にちょっとずつ読んでいる。
で、僕よりも12才年上で多少のズレはあるけれども、
同じ芦屋の浜手で僕の住んでいた家に近い地域で育ち、
神戸の高校に通っていた村上春樹さんの小説にはよく、
「あ、これはあそこだ、あのあたりだ」と解る、
僕にもなじみのあった所が多く出てくる。
芦屋周辺でいうと、
長編『風の歌を聴け』に出てくる「猿のいる公園」や図書館は、
<打出公園>と<旧市立図書館>だし、
長編『1973年のピンボール』に出てくる霊園は、
ウチのお墓もある<芦屋霊園>だし、
短編『めくらやなぎと眠る女』で回想として出てくる病院は、
夙川の河口にある<回生病院>だし、
(回生病院のある反対側の岸の河口の広い浜でよく友達と遊んだ)
短編『5月の海岸線』に出てくるかつて泳いだ海というのは、
僕が子どもの頃にギリギリ残っていたあの海だし、
彼方に追いやられた海岸と立ち並んでいる高層住宅というのは、
その後の埋め立てられた芦屋の海と<シーサイドタウン>の事だ。
ただ物語を読むのだけではなく、
同時にそういった自分の中の記憶を感じながら、
小説を読めるというのは、
結構「シアワセ」なコトだなぁー、
なんてことをしみじみ思いながら、
暑いこの夏を過ごしている。
↓
そんなこんなです。
2014年8 月20日 15:58 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
「スーパークロスワード」誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、
「勝負は最後までわからない! まさかの大逆転」
↓
編集部からのお題は、
「眉唾もの だまされちゃダメ!」
↓
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
今年の夏は、
どんよりしていたり、雨が降ったり。
甲子園の高校野球もちょっと大変そうだ。
運営側も選手も応援団も。
まぁ、でも、そもそも、
いろんな夏があるんだな。
その夏によって。
その中でどう自分らしくその夏を過ごすのか、
それは子供や受験生から、若・中・高な大人まで、
みんなに配られたカード。
子供の頃、
1960年代から70年代まで、
僕の住んでいた芦屋の浜の手には、
ちょうど高度成長期の「会社社会」の中で建てられた、
「社宅」や「独身寮」がアチコチにあった。
今、思い出せる社宅や独身寮だけでも、
川崎製鉄、国鉄(現JR)、第一勧業銀行、神戸銀行、
神鋼ファウドラー、仁丹、東京海上火災。
他にも僕の記憶にない会社の社宅も沢山あったと思う。
そして、そういった会社の福利厚生として、
「グラウンド」や「テニスコート」や「プール」が、
社員と家族が使える施設として、何カ所かにあった。
戦後から続いた景気の良かった時代ならではのことだ。
僕の家から西へ歩いて15分くらい(子供の足で)のところに、
神戸銀行所有のグラウンドとプールがあった。
グラウンドは芝生も植えたかなり本格的な野球場で、
秋に社員の運動会が行われているのを見かけたこともあった。
プールも子供用と大人用のプールを持ち、
売店と休憩所も備えたちゃんとしたものだった。
どうして、神戸銀行のプールに詳しいかというと、
子供の頃、何度かそこに泳ぎにいったことがあるのだ。
僕が暮らした家のあった一角は、
もともとはそこそこの広さの敷地だったところに、
小さな建売住宅を「ギューーッと建てられるだけ建ててみましたー」、
というような分譲住宅地だった。
そんな同じような家たちの中の、
我が家から2件南隣りに、
Wミヤさんという家族が暮らしていた。
その家のタッちゃんとは同い年でたまに遊んだりもしていたが、
そこのお父さんが神戸銀行の社員だったのだ。
その神戸銀行のプールは、
社員に配られているチケットがあると、
家族で無くても入ることができたのだけれど、
それをある期間の毎年の夏に、Wミヤさんがくれたのだ。
が、
今でも僕の母は苦い顔をして言うのだけれど、
「毎年たいてい、8月のほとんど終わりになってからくれるねん。
自分らがもう行かへんと解っていて余っているからやろけど、
それにしても、あと明日一日って、何やねんっ、
って思ったこともあったなー」
だったらしい。
そりゃ、
もらっておいて言うのも何だけれど、
そういう思惑があからさまな感じは、
やっぱり評判悪くするよなー。
だいたい、
いつも自分たちの合理主義中心で少し冷たい感じのするその家は、
そもそも母の好みではなかったようだ。
それも含めて、また、それに加えて、
例えばチケットをくれる時の言い方などが、
母にはちょっと引っかかるものがあったのかもしれないなぁ、
と、今となっては想像できる。
が、しかし、
子供の僕らにはそんなことは関係ない。
宿題がたくさん残っていようとも、
「プール行く?」と母親に言われれば、
「いくいくいくいくいくくいくいくいくいくいくくいくー」
と、嬉しくてふわふわな気分になってそこらを飛び回り、
水着の上からズボンをはいて、浮き輪はすでに家でふくらまし、
「プールに着いたらパックのフルーツジュースを買って、
そんでそんでそんでそんでえひゃひゃひゃ」なんてわくわく顔で、
跳ねながら神戸銀行のプールに行ったものだった。
まぁ、それを見て、
母親も「子供たちが喜んでいるならば、まーいいかー」と、
思ったのだろうな。
近所づきあいでもあるし。
その神戸銀行はのちに合併して太陽神戸銀行になり、
その後にまた合併して太陽神戸三井銀行となってから、
数年後に改名してさくら銀行になり、
さらに住友銀行と一緒になって、
現在の三井住友銀行だ。
そして現在、
そこそこな施設なんてものはもう社員にも人気がないのだろう。
半分遊ばせながら維持管理するという余裕もどこも無いのだろう。
あの時代に、
芦屋の浜手にたくさんあった当時の社宅や寮や福利厚生施設も、
今ではほとんどが、マンションに変わってしまっている。
そんなこんなです。
2014年8 月16日 22:18 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
ヘリウムやネオンやアルゴンは、
「希ガス」です。
「化学基礎」で学びました。
「そんなん今ごろして何の意味があるんですかねー」と、
背中を丸めながら上目遣いに言う人もいるかもしれないけれど、
そういう人には、
今日は、もっと意味がなさそうな昔の話。
書き方が物語り的になるので、
上のような人には、
「ホンマですかねぇー」といいたくなるような例の語り口で。
もう30年以上前、
まだ、パソコンもスマートフォンも無かった頃。
僕は大学生で、夏休みで、その日は家にいて、
無くなったタバコを買うために家の外に出た。
家を出て正面には、
川崎製鉄の所有しているテニスコートがあった。
もともとそこには大きなお屋敷があって、
敷地内の外側に面したところには大きな松の木が並んでいた。
たぶんそれは、
さらに古い時代に海岸の近くが一面の松林だった頃の、
その流れをくむ松の木だったんじゃないかと思う。
立派でスラッと背の高い松の木たちは、
川崎製鉄のテニスコートになってからもそのまま並んでいて、
家を出ると必ず正面に見える松のある風景は、
「とても当たり前で、だけど安心感を与えてくれる」といった、
僕にとっては「家庭」とワンセットになったような景色だった。
その松の並ぶテニスコートと僕の家の間には、
脇に小さなドブ川を備えた小ぶりの道路が南北に走っていて、
旧堤防のところで行き止まりになっているおかげで、
車の量もそう多くは無いのんびりとした道だった。
その日、
僕はその道路を北へ向い、
バス道にある「大川さん」という酒屋の脇にある、
タバコの自動販売機を目指して歩いた。
その頃はまだ高いマンションなど無かった頃で、
スカッと抜けるような感じの芦屋の浜手の独特の空気感の中を、
夏の強い日差しがアスファルトを白く照らしていた。
右手の公園を越えて宮本産婦人科の前あたりまで来た時、
バス通りを曲ってこちらに走ってきた緑のスーパーカブの運転手が、
「おーっ!佐野ーっ!」と声を出した。
当時は原動機付き自転車はヘルメット着用義務は無かったので、
カブの運転手の顔が「ヨシナガ」であることがすぐに解った。
ヨシナガは小学校と中学校が一緒で、
併せて2回ほど同じクラスになったことのある、
そしてその当時もごくたまに一緒に遊んだりしていたヤツだ。
僕はたぶん、
「おーっ、何してんのー?」とでも言ったんだと思う。
聴くと「寿司屋で配達のバイトしてんねーん」と。
それからたしか、
ヨシナガはバイクを降りて、
僕はヨシナガにタバコをもらって、
2人して並んで宮本産婦人科の脇に座って数分間話をした、
とか、そんなんじゃ無かったか、と思う。
とにかく、
夏らしい強い日差しを受けて、
道路や宮本産婦人科の壁など周辺が真っ白になったような、
その時の周辺の印象ははっきりと記憶に残っている。
その時なのか、
しばらくしてからヨシナガから電話があったのか、
それはもう忘れてしまったけれど、
ヨシナガが、
「佐野ーっ、俺のあと、寿司屋の配達のバイトせえへんかー?」
と言い、
僕は、迷うことなく、
「するーっ」と言った。
というのも、
僕はその年の春頃に原付免許を取っていて、
しかし、自分のバイクは持っていなかったので、
バイクを乗り回したくって仕方が無かったのだ。
ヨシナガが途中で僕にバトンタッチした詳しい理由は覚えていない。
彼は当時、岐阜の短期の専門の学校に行っていて、
翌年は卒業だったからその関係があったのかもしれないし、
もしかしたら、
僕が「一年の内の出来事」だと覚え違いをしているだけで、
カブに乗ったヨシナガに会った夏は、
その一年前の事だったのかもしれない。
今となってはあやふやだ。
しかし、とにかく、
1981年の夏、
そういう成り行きで、
もともとヨシナガが乗り回していた、
"たこはち" (多幸八=寿司屋の屋号)のスーパーカブを、
ひきついで僕がブイブイと乗り倒したのだった。
「そのヨシナガも、今ではどこでどうしているのかは知らない…」
と、安っぽいお話のようには終わらない。
ヨシナガとはあれからも、
そして今でもつきあいがあって、
彼は変わらず元気でスカッと気持ちのいいヤツだ。
ちょっと前に、
一緒に飲みにいった時に、
「昔、夏にヨシナガが "たこはち" のバイクで配達の途中、
ウチの近くでバッタリと会ったの覚えてる?」
と聴いてみた。
返事は、
「いやー、憶えてへんわー! オマエ、よぉ憶えとるなー」
だった。
でも、
「ほんま、"たこはち" のバイトはよかったなー。
お盆とか正月前の数日以外はそんなに忙しなかったし、
外に出たらバイクで飛ばせたしなー」
と、ヨシナガ。
この記憶に関しては、
一致した。
そんなこんなです。
2014年8 月14日 16:29 カテゴリー: ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
NO.0701 京都市下京区七条通リド飲食街
2014年6月5日
NO.0700 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0699 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0698 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0697 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0696 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0695 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0694 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0693 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0692 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0691 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0690 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0689 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0688 京都府京都市下京区JR京都駅
2014年6月5日
NO.0687 京都府京都市下京区JR京都駅
2014年6月5日
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2014年8 月12日 15:19 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景 | 個別ページ
今日は台風の影響で、
一日、風が吹いたりどんよりしたり、雨が降ったり。
この夏はほんとにこんな感じで。
星は、
「出る」というけれど、本当は、
誰もが知っているように、
昼間も出ている。
けれど、太陽の光があまりに明るいので、
星が見えていないだけだ。
本当はそこにあるのに、
「見えていない」。
そういうことは、
星に限らず、いろいろとあるもんだ。
特に、
「自分は見えている、きっと間違っていない!(でも、何かに自信がない)」
と思ってる人に限って、
見えていなかったりするものだ。
僕などは間違いだらけなので、
綺麗な星がちゃんと見える。
「そんな事をいうオマエは、そんなに正解なのか?」だって?
いやいや、だから、間違いが一杯あるんだってば。
トビイカというイカがいるそうだ。
この間のイラストの仕事で描いて初めて知った。
「トビウオ」というのは有名で、
実際にどこかでフェリーだかに乗ったとき、
それに並ぶようにトビウオが滑空しているのを見た事がある。
しかし、
トビイカ。
そんなのがいたのか!
なんで飛ぶの?
なぜイカが飛ぶ必要があるの?
「それを言うならトビウオだって飛ぶ必要があるのか?」
とトビイカ方面からクレームが付くかもしれないけれど、
なんで飛ぶのだろう?
(もちろん学術的にはいろいろと意味があるのだろう)
まぁ、人だっていろんな人がいて、
「どうしていちいち独り言をいいながら歩いているの?」
なんてどう考えてもヘンに見える人もいたりする訳だけれど、
でもそうしたくてしているその人の好きにしたらいい訳で、
トビイカにだってとやかく言う筋合いでもないのだが。
それにしても、
トビイカ。知らなかった。
もしかしたら、
僕が知らないだけで、
世界の海には、
「トピエビ」とか「トビウニ」とか「トビヒトデ」とか、
「トビナマコ」とか「トビワカメ」とか「トビクジラ」とか居て、
海面のやや上あたりを、
ヒュンヒュンヒュンヒュン滑空していたりするのだろうか。
ハブ茶というものがある。
「ハブ」と言っても、
蛇の「ハブ」じゃない。
もしそうなら、なんだかとっても元気になりそうな感じだが、
そうじゃない。
調べると、
もともとはハブソウという植物の種で作ったものを、
ハブ茶と言っていたらしいが、
今はエビスグサという植物の種子である、
けつめいし(聴いたことあるなぁ)を炒ったものを、
お茶のように入れたり煮出したりして飲むお茶のことを、
ハブ茶と言う。
去年、売っていたハブ茶を何気なく買って、
そのままずつと放っておいたのだけれど、
夏になってそれを水出しポットに入れて出してみると、
個人的にはとてもおいしく感じた。
ので、
最近はハブ茶だ。
僕が高校くらいの頃までは、
まだ「万年筆」の力、みたいなものがやや残っていて、
高校入学の時にパーカーの万年筆を入学祝いにもらって、
当然のようにして嬉しかった。
その後、僕らの筆箱には、
水性ボールペンだの、0.5ミリのサインペンなども住まうようになり、
さらに時間が経って毎日のようには筆箱は使わなくなってから、
製図用ペンだの、顔料インク水性ペンだの、
いろんなペン先をもった「インク系ペン」が現れた。
そして、
そのうちにパソコンが「パソコーン!」と登場し、
携帯が「けいたーい!」と踊りでて、
スマホが「スマーッホ」としゃしゃり出て、
とうとう普段字すら書かない人まで出てくるようになってしまった。
でも、
人さまの事はまぁ、別にいい。
僕に関しては、
ちょいと前あたり(1.2.3年前?)から万年筆が恋しくなったのだ。
で、
まずはその後に1本買って、
今から2ヶ月ほど前にもう一本買った。
どちらも高価なものでは無いけれど、
なんだかいいなぁと思う。
もちろん字もこれで書くけれど、
場合によってはイラストの仕事に使ったりもする。
当たり前だか、
電池もバッテリーも充電もいらない。
(インクはいるけどね)
もう 20年くらい前になるだろうか。
その頃の数年間、
僕は夏になると毎年、
午前中はベランダに寝っ転がって、
体を陽に焼いていた時期があった。
そのベランダは、
午前中のある時間帯だけ、
床に細長く陽が当たるのだ。
そうやって日焼けして、誰かに、
「あれ、陽に焼けてるやん、どっかいったん?」と聴かれると、
「いやいや、ベランダで焼いてん」と言ってそのあとに、
「僕はプライベートビーチって呼んでんねんけどな」と、
付け足したりしていた。
なんか「のんき」にやっていたなぁ、
と思う。
え?
「今でものんきなんじゃないのか?」って?
さぁぁーねぇぇぇーっ。
2014年8 月 9日 23:13 カテゴリー: ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
「まちがいさがしメイト」誌用の、
問題も考える2点が完了。
まずは、
チュンチュンの間違い探し。
そして、
ペンギンパズル。
これでひとまず、
連続のパズル誌イラスト描きは一息。
自分の体調が年々変わっているのか、
それとも、もしかしたらみんなそうなのか、
今年の暑さの感じは、ちょっと「未経験」な感じがする。
それは単純に「温度」だけのことを言っているのではない。
まぁ、そんな免疫のない暑さでも、
知っている方法でしか解決できないので、
ついついビールを飲んでしまう。
で、ビールがまた、
(もちろん基本的には年中おいしいのだけれど)
ことさらにこの夏はおいしい気がする。
思えばビールも、
もう、30数年飲んでいる。
(毎日ではないが)
今は飲みに行くとだいたい生ビールは中ジョッキ、
いわゆる「生中」がメインでそのサイズしかないところも多い。
でも、若い頃、「大ジョッキ」でおいている所も多くて、
みんなそのでっかいジョッキでガンガン飲んでいた時代があった。
「おいしさ」で言うと、
入れ立てをちょっとずつ飲む方がもちろんおいしいけれど、
あれは、あの、豪快さが嬉しかったのだろう。
今は「豪快さ」ってあまり受けないみたいだ。
(「傍若無人」や「無謀」は結構よく見かけるけれど)
それから、
集まって自分たちで飲むときによく買った、
「リットル単位のミニ樽」なんてのがあった。
これまた、みんなでガンガンビールをつぎあって、
どんどん飲んでいた。
これまた「豪快さ」が嬉しかったのだろう。
そして、
そのミニ樽のつぎ口に工夫がしてあって、
(きめ細やかな泡を出すためだったかな?)
さらに、
ビールをつぐ時にそこから、
「ピヨピヨピヨピヨ」と音のするものもあった。
なんとも言えずどうでもいいような楽しい小ワザだった。
今は、
そやなぁ、
「豪快さ」も、逆に「小ワザ」も受けない。
「だって意味ないじゃーん!」
だまらっしゃい!
「豪快さ」や「小ワザ」というものもちゃんと許されてそこにあること、
がいいんじゃないですか!
なぜならば、
はなから「意味を達成するため」に生まれてきた人は誰1人いませんぞ!
「そこに在ること」、
そこに意味があるのですぞ!
わからっしゃったか! (うむぅ? こんな言い方ある?)
2014年8 月 6日 18:24 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
まず、「スーパークロスワード」誌の、
次の次の号用のイラストパズルが完了。
それから、
「 はっぴい アロー&スケルトン」誌のイラストも完了。
編集部からのお題は、
「なつかしくも照れくさく、時に幻滅も… 同窓会あるある」
↓
編集部からのお題は、
「生き残りをかけた進化 海の生き物の必殺ワザ!」
↓
編集部からのお題は、
「かつて地上を闊歩した… 太古の生物たち!」
↓
編集部からのお題は、
「良いものは良いのです!」
↓
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
なんだか暑さのせいか、
ここ数日、
ちょっとしたポカを続けてやっている。
と思ったらノドがちょっとヘン?
少しふらっとする?
風邪?
それとも忙しくて疲れただけ?
おまけに外は、
どんより天気続きで重たいし。
8月だぞ。
今日みかけた「オネエさま」な看板。
わかったわ。
そんなこんなです。
2014年8 月 4日 18:22 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト | 個別ページ
2014年8 月 2日 20:31 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト | 個別ページ